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料理研究家 茂木 多恵子(高崎市)

【略歴】 高崎市生まれ。跡見学園女子大国文科卒。1981年、フランスに留学し、コルドンブルーで学ぶ。82年10月、クッキングハウス茂木を開設。

弁当と鮨

◎日本人の美学がある

 春になると、書店には弁当の特集本がたくさん並ぶ。「花見弁当」「遠足の弁当」「汽車の旅弁当」「通勤の弁当」「恋人との弁当」「一人の弁当」「おふくろの味弁当」「料亭の弁当」「菜食弁当」「ダイエット弁当」「人前で広げる、格好をつけた弁当」―。

 起源は平安時代の携帯食。花見や茶会で食べられたのは安土桃山時代ごろからといわれているが、弁当には人を引きつける何かがある。

 楽しい弁当に決め事は野暮(やぼ)な話になるかもしれないが、私は好き故にこだわりがある。まず、ご飯は温かくもなく、冷たくもなく、ということ。米はなるべく良いものを使いたい。ご飯は型抜きはしないで“ほっこり”と詰め、ご飯の間の空気も味わいたい。

 二つ目は生野菜や果物を入れるなら、別の器に詰めたい。漬物はなるべく薄切りにし、奈良漬、生姜(しょうが)の漬物、たくあんが良い。糠(ぬか)漬け、白菜漬けは弁当には向かない。海苔(のり)はご飯の上ではなく間に敷いたほうがふたに張り付かない。

 三つ目は緑黄色野菜で季節感を出したい。出汁(だし)巻き卵より少し甘めの厚焼き卵のほうが弁当には合う。そして何より、ご飯とおかずの量のバランスに気を付けたい。弁当もその日の大切な一食。年齢、目的によっても違いはあるが、ご飯はおかずより少し多めにしたい。

 日本ほど弁当が発達している国はないと思う。用途はさまざまだが、弁当を通し日本の食に対する美意識を感じる。携帯食から始まったが、いまでは季節の物を取り入れておいしく味わうだけでなく、目で楽しむこともできる。これ以上のぜいたくはないのではないか。

 鮨(すし)にも同じことが言える。あまり行くことはできないが、超一流の鮨店ののれんをくぐると、ねた箱には下ごしらえの済んだ旬の魚が行儀よく並べられている。客の前で職人の仕事が始まる。以前、いまの季節に歌舞伎の『義経千本桜』を見た帰り、普段なら敷居が高い鮨店に予約をし、ぜいたくな時を過ごしたことがある。食べながら、まるでまだ歌舞伎の舞台でも見ているような優美さがそこにはあった。

 高級料亭の弁当にしても、一流鮨店の鮨にしてもよくぞここまで美しく演出し、かつおいしくしてきてくれたものだ、と先人たちに感謝をしたい。季節に遊び、旬の物を楽しみに食べる、すごい食文化がある。日本人の食に対する美学が感じ取れる。最近、残念に思うのは季節の食べ物が分からない大人たちが増えていること。四季の食べ物を親がしっかり教えることこそ大切なことではないだろうか。

 子供の味覚の記憶は人生の味覚のベースになる。私は春になると、祖母が作ってくれた草もちが無性に食べたくなる。祖父母と縁側で食べた光景までが思い出される。菜の花の季節になると、草もち、桜を見ると、そろそろ筍(たけのこ)、そして初鰹(はつがつお)。年齢を重ねないとなかなか四季の恵みに感謝できないかもしれないが、その基礎を養うのは幼い時の食の記憶、思い出ではないだろうか。






(上毛新聞 2007年4月9日掲載)