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浅間山ミュージアム代表 飯田 宏朗(嬬恋村大笹)

【略歴】 玉川大文学部卒。1987年に東京都町田市から嬬恋村に移住、建築業と宿泊業を営む。05年9月から浅間山ミュージアム代表。ぐんまグリーンツーリズムサポーター。

縄文土器を作ろう

◎豊かな人間性の文化

 私たちは昨年十月と十一月、浅間山ミュージアム学習会の歴史学習会の一環として松島榮治先生の指導のもとで縄文土器作り体験学習会を行いました。縄文時代は最も新しい学説では一万六千年前から二千三百年前の一万四千年近くの間といわれ、近年話題になった青森県の三内丸山遺跡の発掘では今までの定説を覆す出土品が多数発掘されています。

 私たちの住む浅間山北麓(ほくろく)の吾妻川沿いも現在進められている八ツ場ダムの建設工事に伴い、川沿いに点在する縄文時代から近世までの遺跡の発掘が群馬県埋蔵文化財調査事業団によって広範囲に行われています。多くの貴重な埋蔵物が出土し、長野原町の林地区にある八ツ場ダム調査事務所に併設された埋蔵文化財展示室で、発掘された埋蔵物の見学と解説を聞くことができます。

 さて、話を戻して縄文土器作り体験ですが、土練り↓成形↓乾燥↓野焼きの工程で行います。元となる土は本来その土地の土を採取するのですが、時間の問題で今回は陶芸用のテラコッタの土に砂を混ぜ代用しました。次に土練りをよく行い、土の中の空気をできる限り出します。

 いよいよ成形となり、松島先生にお持ちいただいた縄文時代の代表的な土器の模写絵の資料からそれぞれが気に入った形を作ります。まず底となる粘土を丸い板状にのばし、次にひも状の粘土を底から順番に巻き上げて、土器の形にしながら表面を滑らかにしていきます。

 ここから縄文土器といわれるゆえんの表面に縄目の装飾や、耳や突起の装飾を行います。これで形は完成となり、約二週間の乾燥の後に野焼きとなります。野焼きの方法は、土を三十センチほど平らに掘った穴の周りに乾燥した土器を並べ、中央で薪まきを燃やし、少しずつ土器の温度を上げながら徐々に中央に移動させて土器に炎を当て焼き締めていくのです。薪に火をつけてから五時間で焼き上がりとなり、一時間の自然冷却をして完成となります。

 私は初めて縄文土器作り体験からいろいろなことを学んだように思います。まず、一つの土器を作るのに相当な時間がかかるということです。そんなに複雑な形ではない高さ三十センチ、直径二十センチの壺形の土器を完成させるのに乾燥まで入れると約十七日もかかりました。もし縄文土器で最も有名な火焔(かえん)式土器などの複雑な形の土器を作るとしたら縄文人であっても相当な時間と労力がかかっていたでしょう。縄文人は現代の私たちが持つ時間と生産性の概念とは別の概念を持っていたのではないでしょうか。

 私たちは一日を二十四時間、一分を六十秒に区切ることによって社会生活を管理していますが、縄文人は日の出から日没の二区切りで生活していたはずです。時間と生産性の概念は後の弥生時代の稲作文化となってからでしょう。ゆったりと流れる縄文の文化は決して原始的な文化ではなく、豊かな人間性の上に成立した文化であったように思います。あなたも縄文の文化を経験してみませんか。






(上毛新聞 2007年4月10日掲載)