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体験民宿「寺子屋やひろ」代表 飯出 八紘(上野村乙父)

【略歴】 高崎商高中退。会社勤めの後、上野村に帰郷し、上野物産を創業。2001年の国民文化祭を機に設立の「おてんまの会」初代会長。04年に体験民泊を始めた。

森の再生

◎水源市町村に還元を

 今、日本の森は大変悩み苦しんでいます。なぜなら戦後、薪(まき)や炭、線路の枕木建築材の杉や桧(ひのきと)ありとあらゆる木材が都会へと搬出されました。

 しかし、今は山の木はほとんど活用されません。そのため今までは自然に生えていたオッカド(ヌルデ)<これは小正月の作り物には欠かせない木です>やタラの木などがほとんどありません。これらの木は、木を伐採した翌年に草が生え、その中にタラの木やもろもろの木々が成長を始め、数年の内に樹種が変わり、林となり、やがては森となります。

 一般的に木を切ることはいけないことと思われがちですが、日本の山は自然に木が更新されるので何ら心配はありません。外国では木を伐採することにより、大雨などで表土が流され砂漠化しますが、日本では、かえって木を切ることにより樹勢が活発化します。

 私の住む上野村では村の面積の約95%が山林です。畑部が0・8%で残りが道路、川、住居になります。いかに山林が多いかが分かります。

 今より五十数年前は木を切るだけでなく杉などの植林も大変盛んでした。当時は教育制度も充実しておりませんので、学校の図書室は名前ばかりで数冊の本しかありませんでした。村出身の先生が提案し、中学校では教育実習ということで山持ちの山林の植林や下草刈りなどを請け負い、そのお金で本を買い、数年で生徒一人当たりの所有数が県下一になったと聞いた記憶があります。

 私どもが子供のころ、国有林は百年切っても切りきれないと学校で教わりましたが、チェーンソーや集運材の発達により二、三十年で切り尽くされてしまいました。なぜなら、木材は建築材だけでなく燃料やパルプ材などにもなりましたので、林業と農業に携わる人たちが多くおりました。

 その後、林業は斜陽化し、建設業へと移り、今は建設業も見ての通りです。山村は高齢化と過疎化に悩まされ、森を再生する人がおりません。森が荒廃すると川や海まで荒廃してしまうことが最近分かりました。

 その森を再生するために水道料金を値上げするのでなく、国民の皆さんが飲んでいる清涼飲料水のペットボトル一本に対し、一円でも二円でも結構ですので水源の市町村に還元していただいて、若者を山村に招き入れれば過疎化もいくらかの歯止めになるのではないかと思います。






(上毛新聞 2007年4月11日掲載)