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少年哲学堂主宰 須藤 澄夫(片品村鎌田)

【略歴】 朗読劇団片品モナリ座主宰、平成草木塔をすすめる会代表。飯能市助役などを経て片品村教育長。著書「少年の夕方」「抒情的生涯学習論」「尾瀬はぼくらの自然塾」など。

草木塔と草木灯

◎自然の善を信頼する

 草木塔。「そうもくとう」と読む。聞き覚えある人は少ないだろう。山形県置賜(おきたま)地方が発祥の石像である。文献によれば置賜に約六十基、全国に百基余りある。

 草木塔は江戸時代に建てられ始めた。一七八○年、米沢に建てられたものが最も古い。最近では一九九二年、山寺(立石寺)の麓(ふもと)に建てられた草木塔があるが、それには哲学者、梅原猛氏の碑文がある。草木塔は静かに広がって東京にも京都にも建てられたものがあると聞く。

 建立根拠は必ずしも明確ではない。草木を大事にする庶民の考えからだとか、上杉鷹よう山の思想が根底にあるとか、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という仏教からきたのだとか―。諸説あるこのアナログ的なところが私は気に入っている。

 草木塔について私は米沢の友人から教わった。石像を見て、自然保護、環境保護の鼻祖に出合ったと思った。だが、それ以上の特別な考えを得たということはない。

 あとになって理屈をつければ、小さな自然を思う、生活の中の草木にたまには頭を垂れる、こういうチマチマした感覚がじつは世界を覆うほど大きいと思われたということはある。自然を自然に自然の私が思うことは自然のことであるという認識である。

 爾来(じらい)、知友の家の庭に建てていただいたり、簡易なものを玄関先に置いていただいたりしてきた。草木塔の名称をそのまま用いるのは不遜(ふそん)な気がしたので、「平成草木塔」「草木うるわ志」などとした。それが片品村内に十基ほどある。こちらは木材である。安価に、それが理由である。

 だがその後なかなか進まない。私がそれだけにかかわれないからである。しかし、いつかは石像のものを建てたいとひそやかな希望をもっている。土地、石、費用、そんなことを考えると個人では困難だが、安気に構えている。

 夢は夢でよく、進展しなくてもよい。けれども、もしその折があれば「草木灯」の名称を考慮に入れたいと思う。「塔」と付くと一種独特の感覚をいだく人もいるかもしれない。「灯」なら希望を想(おも)い起こさせる気がする。

 この希望という言葉を遣つかうとき、私はオーストリア生まれの思想家、I・イリイチの言葉を想起する。彼は著書『脱学校の社会』でいう。近代人の歴史は希望が衰退し期待が増大してくる歴史だ。希望とは自然の善を信頼することで、期待とは人間によって計画され統制される結果に頼ることを意味するのだと。

 期待はギブ・アンド・テークの世界、希望は取引関係を超えた世界のことである。なかなか難しい心境だが、こういう安気な考えも悪くない。

 最後に、山形大学では山形生まれの草木塔に関するネットワークづくりを始めたことを伝えておきたい。






(上毛新聞 2007年5月4日掲載)