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体験民宿「寺子屋やひろ」代表 飯出 八紘(上野村乙父)

【略歴】 高崎商高中退。会社勤めの後、上野村に帰郷し、上野物産を創業。2001年の国民文化祭を機に設立の「おてんまの会」初代会長。04年に体験民泊を始めた。

田舎暮らし

◎祭りや行事に参加して

 今、群馬県の市町村の中で人口の一番少ない上野村。いま少し前まではお隣の中里村でしたが、町村の合併で神流町になり、今ではその座を上野村に明け渡しております。あまり自慢したいことではありませんが、これも時代の流れで仕方のないことです。昭和三十年代前半には四千八百人を数え、現在は三分の一以下の千五百人を割っております。高齢化率も45%前後、こんな村でもけして村民は悲観しておりません。

 なぜなら住環境が良いからだと思います。難点といえば若者の就業する場所がないことと、病院が遠いことです。富岡市まで三十キロ、藤岡市で五十キロ。緊急の時にはあまりにも時間がかかります。

 しかし、昔のことわざで「住めば都」といいますが、なかなか離れることができません。

 よく都会の友だちに言われます。「そんなへんぴな所に住まないでいま少し便利な所まで出てくれば」―。しかし二十年、三十年と住むと一部のことを抜けばたいへん生活のしやすいところです。若いときは自営業で十年ほど会社勤めをして、数年前に退職し、細々と年金生活をしておりますが、けして心までは貧しくありません。

 春には山菜を採りに行き<最近はあまり採れません>、家の周りで野菜を作り、暇ができれば下の神流川で釣り糸をたらし、今まで目に入らなかった四季の移り変わりを楽しんでおります。特に私の家の対岸にはケヤキの大木にフジが絡まり、この春も数千の花房を付けました。子供のころに相当大木だったので百数十年は経過していると思います。また、秋には数十本のモミジが彩りを競っております。

 最近、テレビや雑誌などで話題になっている「田舎暮らし」ですが、若いとき企業戦士として頑張った人たちが第二の人生を山村や漁村で、静かにのんびりと過ごしたいと思う気持ちは確かに分かります。

 考えてみれば私たちはその都会の人たちがお金をつぎ込んでも行きたいという所に住んでいるのだから幸せなのかもしれません。

 しかし、田舎暮らしもいいことずくめではない。冬の寒さなども頭にいれて置かねばならないし、その田舎暮らしも聞くと見るとでは大違いです。それでもどちらかがその土地の出身であればあまり問題がないのですが、全員が初めてとなると、気候風土や風習などが違うので孤立してしまう可能性があります。「郷に入っては郷に従え」のことわざ通り、祭りや行事には自分から進んで参加するのが成功の秘訣(ひけつ)のように思えます。

 上野村にもUターン組、Iターン組の方たちがおりますが、みな地元の人たちとうまく付き合って成功しているようです。

 野菜などはけっこうご近所のおすそ分けがあるようです。この野菜は朝取りより新鮮な今取りです。おまけに無農薬無消毒の品物です。私は漁村に住むのが夢でしたが、今となってはここに住むしかありません。健康で長生きをして頑張りたいと思っております。






(上毛新聞 2007年5月28日掲載)