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料理研究家 茂木 多恵子(高崎市)

【略歴】 高崎市生まれ。跡見学園女子大国文科卒。1981年、フランスに留学し、コルドンブルーで学ぶ。82年10月、クッキングハウス茂木を開設。

病院食について

◎病気治療の次に大切

 父はがんを宣告されてから六年間、年に四回、四週間の治療のため東京の病院で入院生活をしました。その間、私は週に二回食事を作り病院へ通いました。もちろん入院は食事付き。病気によっては制限される食事もあり、年齢によっても違うので百人百通りのやり方があります。

 私のように自宅で仕事をする人は時間的にも自由がききますが、勤めている家族はしてあげたくてもできない状況があります。だからこそ病院で食にかかわっている人にお願いしたいことがあります。ほとんどの病院は患者がどのくらい食べたかをチェックしているでしょう。これはとても大切な問題です。断わられることを覚悟でいくつかの病院へ食事の残りの量を調べたいと申し出ましたが、予想通り「どうぞお調べください」の答えはありませんでした。

 患者家族もきめ細やかなチェックをしなければならないことはたくさんあります。食欲のない時は「これだったら食べてくれる」「この器だったら気分が変わり食べてもらえる」と、食べさせたい一念ですることは家族しかできません。

 家族や友人の入院で私は病院食を食べてきました。特に魚料理はどこの病院でも弱点がありました。あんかけ料理が多いのは少し時間がたっても表面が乾かないためなのでしょうか。熱がある時にはあんかけ料理は食べられないと思います。生臭い魚料理は元気でも食べられません。病院側の採算もあるでしょうが、患者側はぜいたくな食は決して望んでいないのです。心を感じさせる食事を望んでいるのです。昔は夕方五時半ごろの夕食がありましたが、最近はかなり改善され六時ごろになってきました。

 お茶はほとんど番茶、たまには煎茶(せんちゃ)もいいのではないでしょうか。煎茶はポットに入れて持っていくと色が変わり、香りもありません。病院はホテルではありません。病気を治す所ですと言われそうですが、病気を治すため入院患者は痛みや不安をかかえて毎日を過ごしています。病気によってはこれが最後の食事になることもあるでしょう。独り暮らしで入院している方もいます。経済的にもたいへんな患者もいます。病院食は入院中の患者にとって治療の次に大切ではないでしょうか。

 父が亡くなり二年四カ月がたちました。亡くなる三日前まで食べてくれました。父がまだ元気な時に私たちは取り決めをしました。人工的な栄養補給は一切しない、美味(おい)しいものを食わせてくれ、家で最期を迎える―でした。亡くなる半年くらい前から「これが最後の食事になってしまうかもしれない」と不安を抱えながら食事作りをしました。

 いつも明るい食卓づくりが私の役目、父はよく食べてくれました。これは美談を書いているのではありません、父が亡くなり心の底から寂しさを感じますが、後悔はありません。後悔がないということは苦しみがありません。よくさせてもらい感謝をしています。病人の食事は家族の役割も大きいと思いますが、身の回りのお世話をしてもらえない患者もいます。病院食も改善の余地があるように思います。






(上毛新聞 2007年5月30日掲載)