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共愛学園前橋国際大国際社会学部長 大森 昭生(前橋市駒形町)

【略歴】 宮城県出身。東北学院大大学院博士課程在籍中の1996年に共愛学園入職。2003年から現職。県男女共同参画推進委員、前橋市社会教育委員などを務める。

平和の学びに思う

◎学生とともに紡ぐ未来

 「平和をテーマにしたいのですが…」。昨年、卒業論文の相談に訪れた学生が言いました。「平和でないときのことを知っている人が身近にいる今だからこそ、このテーマに取り組む必要がある」。その学生が自らの役割を次代へと結びつなげる時間軸の中に置いていることを知り、うれしくなったものです。若い人が社会的な課題に向き合わなくなったといわれて久しいですが、中にはこのような学生もいるのです。いえ、この学生だけではありません。過日ソウルでアジアの研究者と語り合う機会がありましたが、その場に本学の学生たちが参加していました。また、先日の薬害エイズ訴訟元原告の川田龍平さんの特別講義には予想をはるかに超える学生が詰め掛けました。このような学生たちと学びを紡ぎ出せることは幸せですし、未来への光を灯ともしてくれているようにも感じます。

 ところで、私は大学で「平和論」という授業を担当しており、ここでも学生たちの真剣なまなざしに出合うことができます。しかし、私はこの授業を担当することになったとき、平和は教え/教わるものなのか、それに平和という多様な価値を包含する概念について一方向的に知識を伝授し、評価することができるのだろうかと悩みました。おそらく平和とは能動的・主体的に生み出すものではないかと考えていたからです。そこで、この授業を安全保障などの知識や、戦争のことのみを扱うものにはせず、複数の教員がおのおのの専門や興味に平和を結びつけてリレー方式で話をすることと、受講生が平和学習模擬企画のグループワークを行うことで構成することにしました。

 そのうえで、学外の戦争体験者のお話を聞く機会も設けています。教員たちの多様な視点と自分のこととして話す主体的な語り、戦争がないだけではなく貧困や差別などの構造的暴力がないことこそ平和ではないかという最近の定義、そして平和の学びを自ら創(つく)り出すことなどに触れ、学生たちはそれまでの平和や平和の学びに対する概念を崩し、あらためて主体的に考え直すことができ、それゆえに真剣に取り組んでくれているものと感じます。

 さて、先の学生の卒論はどうなったでしょうか。論文は戦時中の言論等国民統制の証言を調べ、それは抑圧によって行動を制限する暴力の一種であると述べます。そのうえで、現在の社会状況を分析し、例えば性別などを理由に行動が制限されてしまう状況がないとはいえないことを導きます。これらの比較により、戦争がない現在の日本を平和であると結論づけることに疑問を投げかけたのでした。つまり、この学生なりに自分の問題、今の課題として平和をとらえようとしたのです。

 平和というテーマを軸に書きましたが、社会のさまざまな課題について若い人と考えようとするとき、一方向的な教示ではなく、そこにいる個々が既に課題解決を担う主体であるという認識に立ち、ともにその学びを紡ごうとするなら、響き合ってくれる若い人は少なくないのではないかと感じさせられています。






(上毛新聞 2007年6月1日掲載)