視点 オピニオン21
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地球屋統括マネジャー 小林 靄(高崎市東町)

【略歴】 前橋市生まれ。ちょっと変な布紙木土「地球屋」のデザイナー兼統括マネジャー。本名洋子。古布服作家、歌人としても活躍。著書に「花の闇」など。

熱中すること

◎アンバランスな美しさ

 いくつかの人との別れの理由など思えば大した理由もなけれ

 これまで生きてきた中で、さまざまな出会いと別れがあった。そのたびに喜んだり、悲しんだりしてきたが、考えてみると、われわれが生きていく上で出合わなくてはならない当然の事象で、特筆するには値しないことかもしれない。ものづくりに熱中している間に、多分、私の知らない間に、さまざまな事象が通り過ぎていったことだと思うが、世の中のことすべてを知っていることは良いことかもしれないが、知らない良さがあることも知ったのである。

 その「熱中」とは現在は着物。古くて新しい[粋]なその魅力に取りつかれている。

 昔から[粋]という言葉があり、着る物・身のこなし・持ち物・住まいなどいろいろな面で使われているが、現在の立場で考えるとき、やはり着物にかかわってくる。それは、例えば、着物の色合い一つを取り上げてみても、江戸時代より[粋]な色とは[茶色]と[鼠(ねずみ)色]のこと。「四十八茶百鼠」といわれているように、茶色は四十八種類、鼠色は百種類以上あるといわれるほど多い。それに加えて、左右の不対称、これも[粋]の大事な要素であろう。

 「帽子を小粋にかぶり…]の[小粋]はやはり、アンバランスに、斜めにかぶることである。[着くずし]という言葉があるが、これも左右のバランスを崩すことで[粋]を表現している。竹久夢二の作品に出てくる女性たちが、何とも「粋」に映るのは、襟元の崩した着方、それに帯の、これも崩した結び方によって表現されている。手の配置も程よくアンバランスに置かれ表情をつくっている。

 そういえば、西洋の庭園造りは左右対称が基本らしいが、古くから日本での庭造りは左右対称になっているものは少ないような気がする。もっとも、寝殿造りなどは左右対称だったかもしれないが、これらは[粋]を表現しているわけではなく、荘厳な感じを表現するためであろうし、茶の湯のような[わびさび]を追求しているわけではない。茶の湯などは[粋]の最たるもので、違い棚のように、棚一つを見てもバランスを崩している。その一分の崩し方で、野暮(やぼ)になったり粋になったりするのだろう。

 庭師などが、よく際限もなく松を眺めたり、石を眺めていて時間稼ぎをしているようで気がもめるものであるが、この微妙なところにかかわっているに違いない。余談になってしまったが、この着物を用いて服作りをしている私だが、やはり、このアンバランスの部分を取り入れたいと考えている。左右対称の完成された[美]も美しいが、左右対称でない、不均衡の動きのある美しさ、危うさといおうか、このところに心を動かされるのである。「今にも動き出してしまいそうな、そんな衝動が感じられる作品」、これはものを作ろうとしている人の願望ではないかと思われる。

 まだ二十歳代くらいの男性が着物の服に興味を持ち、私の本も持っていて勉強をしているとのことだった。このエネルギーがうらやましく、そのうちに何か一つの形になるのではないかと期待をしているのである。






(上毛新聞 2007年6月2日掲載)