視点 オピニオン21
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県体育協会クラブ育成アドバイザー 青木 元之(沼田市戸鹿野町)

【略歴】 日本体育大卒。水泳で国体に2度出場。県内小、中学校教諭、渋川金島中教頭、県体協・スポーツ振興事業団共通事務局次長を経て、2005年から現職。

指導者の怒鳴り声

◎「励まし」か「苦痛」か

 スポーツにおいて、球技などの団体種目ではフォーメーションにおける連係プレーの指導は欠かせないが、全種目を通じて選手個人を育てるには負荷の与え方が重要な指導ポイントであり、それによっては平素の練習が有意義になるか無意味になるか大きな違いとなる。

 負荷の与え方とはどういうことかというと、例えば、170センチを跳べた走り高跳び選手にいきなりバーの高さ200センチの練習では荷が重すぎるし、かといって160センチの高さを繰り返しても進歩がない。まずは171センチをクリアする練習が必要になる。つまり、選手の能力に応じた練習による鍛え方の度合いと考えて良いだろう。

 数字で表すと理解しやすいが、心技体を鍛えるとなると、指導者にとっては教育的であるかそうでないかを問われる難しい問題である。そこで今回は心技体を鍛えるための負荷について考えてみよう。

 バレーボールのレシーブ練習や野球の捕球練習などでは、選手が拾えそうなギリギリの所へボールを投げてやることによって、反復練習の末に捕球範囲を広げられるようになる。しかし、選手の能力とは関係なしに遠すぎる所へボールを投げていては疲れるだけで、ボールを拾う気力さえ失わせてしまう。

 水泳では泳ぎ込ませて筋肉を疲れさせてから、制限タイムを決めた練習をすることが多い。これは、疲れた後に頑張ることでさらに筋持久力や気力が高められるからである。この場合も選手の能力に応じた的確なインターバルの設定をしないと選手には苦痛になる。

 このように、選手の能力をよく知ったうえで適切なプログラムを組むことはとても大切なことである。だが、それにも反して選手が力を抜いたら指導者はどうするか? というと、スポーツ関係では選手を怒鳴りつけることが通常的である。では、なぜ悪いこともしていない選手を怒鳴るのかと多くの人が疑問を感じるかもしれないが、それなりの意味がある。

 競技スポーツにとびこむ選手は強くなりたい、速くなりたいということを願う。そのためには練習によって体や精神を鍛えなければならない。しかし、厳しい練習の中では「楽をしたい」という思いと「ここで力を抜いたら意味がない」という心の葛藤(かっとう)がある。「楽をしたい」という思いが勝り始めたとき、指導者の怒鳴り声は「力を抜いたら意味がない」という気持ちに変えてくれる強烈な励ましの言葉となるのである。いわば、しかられたおかげで踏ん張れ、自分の願いを成し遂げることができると言っても過言ではない。

 このように、怒鳴り声も選手の精神面を鍛えるための適度な負荷となるが、与え方によっては苦痛になったりして、鍛えているつもりの怒鳴り声もむなしく聞こえてしまう。

 近年の若者や子どもたちにも、そのような厳しさや葛藤の中で指導者の怒鳴り声に励まされ、自分に打ち勝っていく機会に多く触れていってほしいと考える。






(上毛新聞 2007年6月27日掲載)