視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
板倉町文化協会長 小林 新内(板倉町大高嶋)

【略歴】 館林高卒。県社教連合会理事、県防犯協会理事、県少年補導会理事、町区長会長など歴任。現在、県文化協会監事、町社会福祉協議会長も務める。

お茶飲みごっこ

◎地域の力を結集しよう

 テレビの映像でときどき昔の家屋を見かける。子供のころのわが家も似たような住まいだった。家の中に太い大黒柱が立っている。広々とした土間の片隅にかまどがあり、天井からは自在鉤(じざいかぎ)という器具が下がっていて真っ黒にすすけた鉄瓶がつるされ、下からまきが燃やされて煙り、湯気が一緒に立っていた。ろくな間仕切りもない部屋があり、紙張りの障子を境に南側は縁側である。

 近所の人たちはいつも腰をかけて横向きになって雑談をしていた。どこの家の縁側もいうならば近所の人たちの社交の場になっていた。梅干しのお茶請けでお茶を振る舞われる。時には梅干しの上に砂糖がかけられ、そばで遊んでいる子供たちの手のひらにも梅干しと砂糖が乗せられ、甘酸っぱい味が何ともいえず、思い出しても口の中につばが出てくる。「○○さんちの娘さんが嫁に決まった」とか「△△さんが転んで向こうずねを打ったって。痛かったんべえ…」など、たわいのない会話が交わされていた。

 情報手段の少なかった時代、世界の動きがどうとか、総理大臣の発言についてのニュースはあまり伝わってこない代わりに、地域の中での出来事は良いことも悪いことも、こうしたお茶を飲みながらの雑談の中から瞬く間に広まっていく。子供がいたずらなどすると、時には子供が家に帰る前に親の耳に入る。親に叱しかられる前に近所の大人に叱られた。毎日顔の見える年寄りの姿が見えないとすぐ話題になる。このような「お茶飲みごっこ」でみんなが地域の情報を共有し、その課題も自分たちの問題としてとらえるなど連帯意識が強かったのだろう。

 だが、いつの間にかこうした地域の中のコミュニティーの場が少なくなってきた。腰をおろす縁側も少なくなっている。家の構造もプライベートな部屋が好んで造られるようになった。隣の家との庭が地続きでそれぞれの家の縁側とも境を感じなかったのが、最近は隣同志が疎遠になってきている。家族でも個室を持つようになり、生活のパターンが少しでもずれると朝夕のあいさつさえもなくなってしまう。

 こうした環境が人々の心の内にも変化をもたらしている。地域の人々も、また家庭内でもお互い意志の疎通を欠き、トラブルのもとになったり、子供たちまで巻き込む多くの事件・事故につながる要因になってはいないだろうか。

 地域の人々の持つ共通の問題意識には、大きな意味があると思う。犯罪防止のために各地の住民による防犯パトロールも大きな成果を収めている通りで、こうした地域の力をいろいろな面で発揮してほしい。こうした力を例えば地域の福祉に向けていただいたら、弱い立場の人々にはどんなにありがたいことだろう。水害の発生しやすい季節だが、災害で真っ先に犠牲になるのが高齢者、特に一人暮らしの人たちである。

 「お茶飲みごっこ」のように気軽に集まり、地域の課題を共有することで、心の中の垣根を低くして隣近所が「お互いさま」と助け合えるお付き合いができたら、本当にすてきだと思う。






(上毛新聞 2007年7月7日掲載)