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写真家 田中 弘子(東京都小金井市)

【略歴】 東京生まれ。群馬県の養蚕・蚕糸絹業の写真「繭の輝き」が2006年第15回林忠彦賞を受賞。東京の河川等のドキュメンタリーを追う。日本写真協会会員。

養蚕業生き残りの道

◎消費者の支えも必要

 群馬県の養蚕業は、今後どうなるのだろうか。二〇〇五年の養蚕農家数は六百五十戸、〇六年五百五十戸と、減少に歯止めがかからない。果たして産業として成り立っていくのだろうか。「夫婦どちらか倒れたら、おしまいだね」と言われているように、養蚕の仕事は一人ではできない。あと数年後には消滅してしまうのではないかと危惧(きぐ)している。しかし、厳しい状況にありながらも、昨年の収繭量は二百二十五トンで全国一を維持している。

 かつて群馬県は、農林水産祭の蚕糸・地域特産部門で、一九八二年に安中市在住の個人が、また九二年に甘楽町の上引田養蚕組合の団体が、それぞれ最高の栄誉である天皇杯を受賞している。

 九二年十二月一日付の上毛新聞の記事によると「同組合は十三戸の養蚕農家で構成され、養蚕経営の近代化に取り組んだ結果、昨年度は一戸当たり全国平均の四倍以上の平均年間収繭量二千百キロの成果を挙げたのをはじめ、後継者の確保、育成面でも多大な評価を受けた」と記されている。今では考えられないほどの輝かしい業績を残している。

 当時の組合員の一人、松井泰さんにぜひお会いしたいと思い、今年四月、取材に訪れた。現在はその組合もなくなり、養蚕農家は二戸だけとなった。そのうちの一戸は松井さんで、八〇年から導入された多段式回転飼育機を使用しながら長男の利博さんとともに続けている。もう一戸は黒澤優さんで、春蚕(はるご)だけの飼育となってしまったが、近所の友人、萩原清さんの力を借りて長男の篤さんとともに頑張っている。

 農家の下げ止まりを図るために、県と民間が知恵を出し合い、今、養蚕業生き残りの道を模索している。研究成果として、従来の群馬県ブランド蚕六品種に加え、新たに「上州絹星(じょうしゅうけんぼし)」が加わった。光沢があり、和装・洋装の高級織物に適しているという。

 また、一つの試みとして「ぐんま二〇〇」の繭を使用したタオルの生産を始めた。大きな特徴として、養蚕農家では農薬を使わず、製糸工場ではフォルマリンなどの有害物質を一切使用しない無公害で高品質な製品を目指している。大量生産は行わず、商品のブランド化を進めるため「ぐんまシルク」認証シールを付けることにしている。従来の絹織物製品にこだわらず、身近な日常生活に役立つものに注目した発想は評価でき、今後の展開に期待したい。

 収繭量全国一を続けている群馬県だが、収入の面から見ると、厳しいのが現実だ。一枚の着物を作るのに農家生産の繭だと約五キロの繭が必要となる。今の繭の価格が一キロ約二千円とすると、着物一枚分の繭代が約一万円。「お蚕やっている者は着物一枚買えない。せめて一キロ三千円以上になれば」という声も聞こえてくる。

 養蚕農家の減少は、見方を変えれば「日本の繭が希少価値となる」ということだ。繭の価格の見直しも必要と思われるが、同時に長年続いてきた伝統産業、養蚕蚕糸・絹業に対して私たち消費者がどう考えるか。地場産の商品に目を向けて、支えていくことも必要なのではないだろうか。






(上毛新聞 2007年7月13日掲載)