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新島学園短大兼任講師 関野 康治(高崎市貝沢町)

【略歴】 高崎高、早稲田大政経学部卒。銀行勤務を経て同大学院を修了。建設会社法務部門で不良債権処理、企業再生に取り組む傍ら、新島学園短大で講師を務める。行政書士。

公約と地方自治

◎「選挙のときだけ自由」

 「選挙のときだけ自由。選挙が終われば奴隷」と、ルソーというフランスの思想家が英国の政治を観察して言った。選挙のときだけ甘いささやき、できもしない公約、ばらまきの誘惑。終われば奴隷と看破した。

 ところで、この六月から住民税が上昇した。景気が腰折れしないか心配である。役所の説明は「総額は不変」で所得税(国の税金)の減税分が住民税(地方の税金)に振り替えられただけだというが、定率減税が全廃されたので本当は増税である。これは小泉内閣の方針である「地方でできることは地方に」という方針のもと、三割自治といわれた地方の財源を充実させることであり、その考え方自体は悪くない。

 しかし、一般的に考えて、何の努力もしないで「財源」が増えた場合、次の疑問がわかないか? つまり「無駄遣いの誘惑は?」あるいは「つい気が緩まないか?」ということだ。社会保険庁を思い出してほしい。一部でたらめな公務員が、仕事をしないで、でたらめに税金を使い、あげくが「年金が消えた」。地方自治体がこんなひどいとは思えないが、夕張の例がある。夕張は、同じ人口規模の自治体の三倍の人員で暇をもてあまし、「隠れ借金」を重ねていたことが表面化。それで破綻(たん)した。つけはもちろん住民と国だ。

 少子高齢化社会を前提にすれば税金が格段に増える見込みはない。その中で、子育てと福祉には優先的に財源をつぎ込まねばならないのが二十一世紀の日本社会だ。だから、これからは地方政治が生活の場として一層重要性を持つことになる。今まで「地方は中央の補完」であったが、これからは「生活に直結する政治が地方自治」になる。中央の政権を変えても、地方の政治が変わらなければ生活改善はない。地方の政治は、選挙で投票し、意思表示をすることで自らつくり上げていかねばならない。

 しかも、地方政治は、国の政治(議院内閣制)とは違い、一人の知事や市長が治めるいわば“大統領制”である。地方の大統領といえる知事や市長の人柄・考え方・政治への情熱が、直接的に地方政治に反映する。身近な政治が良くなるかそうでないかは、大統領のような強大な権力を握る(昨年の福島、宮崎、和歌山県知事の汚職と逮捕は記憶に新しい)知事や市長次第ということだ。だから、地方自治は、国政並みに重要ということになる。

 デモクラシーとは「民衆の力」のことだが、その力は投票に行って初めて発揮できる。そして公約が守られるかどうかをしっかりと見極めよう。もし「違反」があれば、次の選挙を待つ必要はない。地方自治法には住民による「直接請求権」が規定されている。知事の罷免、議会の解散、条例の改廃請求などができる。「選挙のときだけ自由」で終わるか否かは、まさに住民の意思次第である。






(上毛新聞 2007年7月21日掲載)