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石材店経営 小堀 良夫(富岡市富岡)

【略歴】 高崎工業高卒。富岡市教育委員長、富岡中央ロータリークラブ会長を歴任。石材店「石匠苑」の社長を務める傍ら、富岡市国際交流協会長。趣味は日本酒。

向き合う瞬間の大切さ

◎Hくん研修てん末記(後)

 「一年でも二年でも修業させたい。会社の経営や企画、接客、営業、設計などいろいろ勉強させてください」とHくんの父親。「まずは現場です。現場にはすべてがあります。現場のことが、少しでもできるようになったら、次に進みましょう」と私。父親の期待に背中を押されながら、Hくんの後継者研修は昨年五月に始まった。

 彼には研修日誌をつけてもらった。いわゆる日報である。B5判ノートにその日の仕事内容、学んだこと、感想を書く。それを、私も含めて各部署の担当者が毎日読み、コメントして返す。初めに驚いたのは彼のサインであった。文の終わりに記す彼の名前が、何と芸能人がサイン帳に書いてくれるような崩し字であった。文も、まれに半ページになるような時もあるにはあったが、やがて五、六行、半年を過ぎたころからは一日三行に落ち着いてしまった。

 彼の給料は「成果報酬型」であった。給与の半分は固定とし、残りは四つの部署(工事部・営業部・展示場・社長)で仕事ぶりをそれぞれ評価し、給与に反映させるという仕組みである。

 彼に対する毎月の評価表がある。昨年十月のものを紹介してみよう。「与えられた仕事をただやるのでなく、作業の時間を指示された時点で、自分で考えて段取りを取るようにすること」(営業部)。「半年たち、先輩に対して親しさも増してきたようです。字彫りにも挑戦し始めました」(工事部)。「仕事中、その場の空気も読まずに大声で笑う姿を見かけます」「展示場に旗を立てるために杭(くい)を打ってもらったのですが、暗かったのか斜めに打ち込んだのが残念」「今月から会社の名前入りの作業服が着られるようになり一歩前進ですね」(展示場)。

 担当者の心配りがにじむコメントであるが、査定額は毎月平均60%であった。しかし、これも彼の研修意欲にあまり影響は与えなかった。後で分かったのだが、親から毎月の生活費が潤沢に送られてきていたのだ。「H君は、修業に来ていて楽しいも何もないかもしれないが、それでも、何が楽しい?」「寝るのが一番楽しいです」

 一年がたった。彼は家業を継がないという。私が預かっていても、ほとんど意味がないということになる。「どうするの?」「東京に行きます」「何をするの?」「えぇ…」

 いろいろあった。皆があれこれ努力した。本人も、親も、社長も、社員も…。そして今、胸をよぎるのが充実感ではなく、むなしさなのはなぜなのだろう。「どこかでボタンを掛け間違ったのではないか」。ふと、そんなふうに思った。子どもが背伸びしながら大人に成長していく過程で、親から意識的に離れる時期がある。だが一方で、自分にしっかり向き合ってほしい大事な瞬間も期待しているのだ。Hくんは父親を「あの人」と呼ぶ以前に、自分のことを理解してくれる存在から「話してほしい言葉」と「自分と向き合ってもらう瞬間」を真剣に求めていたのかもしれない。

 先日、Hくんが久しぶりに会社に顔を見せた。妙に生き生きしている。すっきり、解放感いっぱいの表情であった。






(上毛新聞 2007年7月22日掲載)