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ノイエス朝日チーフ 武藤 貴代(前橋市)

【略歴】 桐生市出身。1981年から20年間、煥乎堂に勤務し、画廊担当のほか、出版編集業務に携わる。2003年、入社した朝日印刷工業のノイエス朝日担当となる。

3人の作家

◎老いてなお仕事する

 詩人の伊藤信吉先生が生前、「すばる」二〇〇一年九月号で「九十四歳の不仕合せ」と題して十編の作品を掲載している。自身の年老いていくさまを描いた「きんさんぎんさんの弟」、祝いの会や通夜に行くか行かないかと迷う「出席・欠席」、体温計が三九度を超えた体調の悪さをコミカルに書いた「老人知恵熱」、ぽっくり信仰の研究をしている孫むすめに旅費を出す「ぽっくり研究の旅費」などである。

 一般的に年齢を重ねなければ、その老いは分からないという。髪の毛が薄くなり白髪が増え、噛(か)み合わせが悪くなった歯、ぼんやりとかすむ目、シミやシワが増えた顔や手、弱くなった足腰と数えればきりがない。「無駄な抵抗はやめろ!」と、どこからか聞こえてくる声にも負けずに、髪を染め、マッサージをし、通院をして軌道修正をする。無駄な抵抗をしつつ「美しく年を取る」術や秘策はないものかと少しは考えてみることもある。

 伊藤先生との打ち合わせや会食がどれほどあったものか? 数えられないが、生涯現役の精神をもって仕事を続けられ、死の恐怖より、やり残す仕事のことを考えて「あと三年は死ねない」と話していたころの先生の手はつやつやとしていた。細いシワやシミは肌を通して美しい年輪のように感じられた。「自分でハサミを持ってカットするんだよ」と言う白髪は、長年の習慣でまっすぐに切り揃(そろ)えられ、プロの美容師のような技術だった。自己にむち打ち、弱音を吐かず、愚痴を言わず、黙々と仕事を続ける九十五歳の姿がそこにあった。

 九十八歳になった画家を数日前に訪ねた。笑いながら語る画家の手をずっと見ていた。太く血管が浮き上がった手は、形よく爪(つめ)が切られ、踊るように手のひらが動いていた。窓から入ってくる風が優しく白髪をなびかせていた。その画家も生涯現役であるためにデッサンをし、作品の構図を考え、白い紙に描かれた力強い線と面は、とても年齢を感じさせないしっかりとしたものだった。そして頭の体操だと言って大学ノートにぎっしりと知人の名前やテレビに出ている俳優の名前を書き連ねていた。

 詩人や画家は、健康や精神の安定を保つために見えない自分の生活の中で何かをしていた。

 私が今まで出会った九十歳を過ぎた作家は、自分の精神と身体(肉体)で老いを背負い込み、受け入れ、抵抗ではなくコツコツと毎日を過ごしていた。「生涯現役」の厳しさは、今の私には分からない。自分の着地点をしっかりと見極めるために、日々先を見つめる作業を怠らないようにしたい。

 音楽評論家の吉田秀和さんがテレビで自分の仕事を語っていた。鎌倉の質素な生活空間に一人で生活をし、仕事をしていた。原稿は、一文字一文字を手で書き、一文字一文字を訂正する。楽譜も手書きで切り張りする。その行為が大切なのだと話していた。部屋の机の前で考えごとをする姿が印象的だった。美しく年を取ることは見えないものの先にあるようだ。






(上毛新聞 2007年7月29日掲載)