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脳機能検診センター小暮医院長 小暮 久也(埼玉県深谷市中瀬)

【略歴】 慈恵医科大卒。米マイアミ大や東北大の医学部神経内科教授、世界脳循環代謝学会総裁など歴任。「明日への伝言」など一般向け著書も多数。深谷市出身。

子供の世界と教育

◎遊びの中から学ぼう

 誰かが「あっ、虹だっ」と叫び、大人も子供も東の空を見上げて立ち上がった。しかし彼は、バーベキューの火を見つめたまま、一向に虹のほうを振り向こうとはしなかった。姉が、「敏ちゃん、虹よ! ほら、あんなに大きな」と指さしてやっても、心に多少の病気があると聞いていたほかの子供たちが、「虹だよ、虹、敏ちゃん、見て見て」とせき立てても、彼は棒で火を突っついているだけで、動こうとはしなかった。利根の河原でも、一夏に一度はかかるかどうかという大きな虹だったから私も、普段は東京に住んでいるという敏ちゃんに見てもらえないのは残念だなあと思った。

 やがて、隣のグループから、「ああーっ、消えちゃうよ」と子供の声があがって、敏ちゃんは思わず虹のほうを振り仰いで今度は声もなく虹を見つめ尽くしていた。学校と学習塾と、予習復習のこと以外には何も知らなかった彼は、虹が実際に目に見えるものだとは全く考えていなかったという。夏休みに連れて来られた母親の田舎も、学校や塾とはまったく関係がなくて「現実の世界とは思えなかった」と、今はそのようなことも言っている。事情があって、次の春から母親とともに田舎に移って村の小学校に転校して来た彼は、中学、高校と学び進むうちに、見事な変身をとげて、大学では化学を専攻しているという。心を病んでいた彼を辛くも現実の世界に戻したのは、彼の素直さと田舎の空気と、何にも増して、遊んでくれた大勢の友達だったと私は思っている。

 山形市山寺の立石寺を訪ねて、蝉(せみ)時雨の中を歩いていた時、その年に医師の免許を取得したばかりの女性医師が「私は蝉が嫌い」と言っているのを小耳に挟んだ。「秋の、声変わりした蝉を聞くのが寂し過ぎる」と言うのだが―。彼女は、今はジイジイと鳴いている蝉が盛夏にはミインミインと鳴くようになり、やがて秋にはカナカナと声変わりをして、オオシンツクツク・トクイッショウ・トクイッショウと死んでゆく、「それが儚はかなく感じられて」と言っているらしい。

 数年に及ぶ長い幼虫時代を地中で過ごし、地上ではわずか数日で死んでしまう蝉の寿命のことなら、夏休みに蝉取りをして遊んだ子供たち全員が知っているはずである。しかし医局長が、今鳴いている蝉は秋まで生きてはいないのだと言ったら、その女性医師は、「『生物』は医学部の受験科目になかったので」と言い訳をした。彼女が医者として「人間」を診られるようになるまでには、これからもまだ気の遠くなるような長い時間がかかるだろうとわれわれは思った。

 今われわれが必要としているのは、新しい教育の仕組みではなく、蝉取りをしている時、小さな子供に「鳴くのはオスだけだよ」と教えてくれる大きな子供がいる社会なのではないだろうか?






(上毛新聞 2007年8月4日掲載)