視点 オピニオン21
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社会福祉法人アルカディア理事長 中田  駿(太田市高林寿町)

【略歴】 早稲田大卒。太田市の三枚橋病院(精神科)勤務を経て精神障害者の地域ケアに従事。県精神障害者社会復帰協議会長、NPO法人「糧」理事長。岡山市出身。

外国の子供たち

◎生活空間の中に遊び

 「外国を旅すると違った見方ができる」といわれる。その通りで、今まで抱いていた生活観が揺らぐような場面にしばしば遭遇する。

 カンボジアでのこと。子供たちが村の広場でサッカーをしている。といっても、ラインもなく、粗末なボールを蹴けっているだけの遊びである。集団の中で、片足の少年が他の子供たちに負けずに駆け回っていた。おそらく地雷の犠牲者であろう。しかし、彼の顔は笑顔に満ちていた。私は最近見かけることが少なくなった子供たちの笑顔と元気さに出合い、ほっとした気分にさせられた。

 バンコクでのこと。キックボクシングの試合会場まで行く手段に困っていたところ、一人の少年が現れ、「バイクの後ろに乗れ」という。渋滞で有名なバンコクでは一時間半はかかるというが、小型バイクの少年は路地から路地へと迷路をくぐり抜け、わずか十五分足らずで到着した。帰路も彼に依頼したが、会場付近には五十人を超える「バンコク版暴走族」が待ちかまえていた。辺りは蒸し暑かったが、活気と生活感に満ちあふれていた。

 インドでのこと。カルカッタ空港に降り立つと、リキシャ(自転車の後ろに人が乗るように改造された乗り物)をひく人に交じって子供たちが群がってきた。インドで下層階級の人々は、職はなく、食料を自分で調達するしかない。子供たちは、それが日課である。カルカッタの街では、いつも三十人ぐらいの子供たちが私の周りを取り囲み、宿舎までついてきた。そのエネルギッシュさ、粘りには脱帽した。私には子供たちが無邪気に感じられた。

 この元気の源は何だろう? おそらく、生活空間の中に遊びがあり、集団のエネルギーがもたらしているのだろう。現在の日本では子供たちがこぞって遊ぶ光景はほとんど見かけられなくなってしまった。集団の遊びにこそ自然に学んでいく大切なものがあるのだが…。

 私は考えさせられる。私たちの世代は、少年時代の体験(それは遊びを徹底的に楽しみ、集団のルールや上下関係や弱者をかばうといった貴重な体験であった)の大切さをわが子たちに伝えきれなかったのではないだろうか? そしてわが子たちが、親になったとき、子供たちに抑制的言動しかとれない現実をもたらしてしまったのではないか? 「勉強しなさい」「仲良くしなさい」。これが、今、親たちが子供たちにいう決まり文句である。

 「もうどうにもならない」と言う人もいるが、私はまんざらそうでもないと思う。フリーターで稼ぎ、諸外国を旅している若者たちはたくさんいるし、懸命に自分探しをしている。私は今からでも遅くはないという思いを込めて、若者たちに旅することを勧めたい。異文化やエネルギッシュな生活、子供たちにふれる体験を通して、(私たちが引き継げなかった)子供たちに思う存分遊ぶ楽しさと、それが保証される環境を再生してほしいと願う。






(上毛新聞 2007年8月6日掲載)