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県フェンシング協会理事長 吉澤 博通(昭和村貝野瀬)

【略歴】 群馬大教育学部卒。沼田フェンシングクラブ代表。日本フェンシング協会評議員。県内小中学校に長年勤務し、現在は昭和村立昭和中学校校長。

日常性の打破

◎試合通じ人間性高める

 六月のある水曜日、沼田フェンシングクラブの練習日。普段はジャージー姿で練習に参加する沼田高校、沼田女子高校フェンシング部の三年生四、五人が制服で現れた。インターハイ県予選会で負け、インターハイ出場の夢が絶たれたため、これからは進路を目指して勉強に専念するという決意を告げに来たのである。

 生徒たちは、フェンシング生活を振り返りながら目に涙を浮かべ「長い間お世話になりました」とあいさつした。私は彼らに、フェンシングを通して自分を変えられたか聞いてみた。彼らは、口々に「積極的に行動できるようになりました」「粘り強くなりました」「協調性がついたと思います」とフェンシングの効用を語っていた。フェンシングで全国大会出場という夢は実現できなかったが、フェンシングを通して自分をみがいたという実感をもってやめていく生徒を頼もしく見送った。今後、培った力を勉強で生かしていってほしい。

 最近の教育の動向として、競い合いを避ける傾向が見られる。みんな頑張ったのだから優劣をつけるのは不要であり、順位をつけると順位が下の子が意欲をなくす、というのが主な理由らしい。しかし、みんな頑張っても、その中で質の良いものとそうでないものはある。より質の高いものを求めることは向上のために必要である。下位の者が意欲をなくすなら、順位の公表を工夫すればよい。一概に、競争が悪いとは言えないと思う。いや、むしろ、競争することで自己を鍛え、他者を思いやる心が育つのではないだろうか。

 スポーツにおいては、練習で技と心を鍛え、その成果を試合で確認するということになる。いわば、最も典型的な競争の場が試合である。試合においては、優劣がはっきりつき、栄誉あるいは挫折を味わうことになる。したがって、試合においては、持てる力をすべて発揮し頑張ろうとする。そのため、精神状態が普段と異なり、極度の緊張状態となる。その状況の中で、ある時は、緊張に負け、力を半分も出せないこともあろう。また、逆に、自分にこんな力があったのかと思うほど力を発揮できる場合もあろう。そして、力を発揮できない仲間の状況も理解できるであろう。

 冷静に試合をする中で、ここぞと思うときに自分の持てる力を集中して発揮することにより、日常ではできなかったことができることもある。例えば、消極的な自分が積極的に攻められたとき、ミスを心配して小さくまとまりがちな自分が大胆な大技を決めたときなどである。指導者は、試合の時こそ、日常性を打破し、弱い自分を強くする機会であることを選手に繰り返し伝えるべきである。その積み重ねが、物ごとに対処する姿勢を変え、自分の生き方を洗練させていくことにつながる。

 冒頭の高校生たちは、こうして普段の自分を変えたという実感を持ったのであろう。試合を通して日常性を打破し、人間性を高めたい。






(上毛新聞 2007年8月15日掲載)