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砂防・地すべり技術センター理事長 池谷  浩(東京都世田谷区)

【略歴】 栃木県生まれ。桐生高、京都大農学部卒。建設省に入省し、砂防課長や砂防部長などを歴任。現在、中央防災会議専門委員、砂防学会副会長を務めている。農学博士。

湯桧曽川の災害

◎急激な増水現象が原因

 二〇〇〇年八月六日午後三時すぎ、谷川岳のふもとを流れる湯桧曽(ゆびそ)川で、ハイキングに来ていた埼玉県のサッカースポーツ少年団の親子が濁流に押し流され、一人が死亡し、六人が負傷するという災害が発生した。新聞各紙はこの災害原因を鉄砲水によるものとした。なかでも「群馬県水上町の地元では鉄砲水を猫まくりと呼ぶ。壁のように押し寄せる水の波頭が猫の前脚のように曲がる様子から来た言葉だ」と紹介した新聞があった。

 そこで地元ではどのような現象のことを「猫まくり」と言っているのか、当時水上町に聞いてみた。町は住民に聞き取り調査をし、蚕を飼う時に使う厚いムシロのことを「ねこ」といい、これをまるめる時、またはまるめて放す時の様子が河川の急な増水の様子に似ていることから「猫まくり」と言うことが分かった。地域住民、特にお年寄りの答えが多かったこと、河川の急な増水の様子が猫の手の様子に似ているからという答えも若い世代からあったとの返事を頂いた。

 ここで災害当日の状況について、濁流に巻き込まれながらも助かった女性の談話を読んでみると、初めは水深二〇〜三〇センチ程度の流れで子供たちの水あそびができたが、川の水は急に水位を増し、深さも約一メートルとなって大人でも足を取られるほどになったことが分かった。そして、水位が上昇したので談話の主は子供を持ち上げて岸に連れていったとのことであった。この談話を科学的に分析してみると、少なくとも流れの先端部に段差のある流速の速い水の流れ(段波)が発生したのではないことが分かる。

 すなわち、湯桧曽川の災害をもたらした現象は段波を伴う鉄砲水というよりは、急激な増水現象と考えられるのである。現地付近のレーダー解析による降雨量は午後三時までの一時間に二〇ミリと報道されているところから、局所的に降った雨が残雪を溶かしたことや、湯桧曽川が雨水の集まりやすい形状をしていたことが災害発生の原因となったのである。

 今年の夏は特に暑い日が続いている。夏休みを利用してこれから山や川に行く予定を立てる人も多いことであろう。最近河川の中州でキャンプをしていた人が急激な増水で流されるという事故がしばしば発生している。山や川に行く時は目的地の天候だけでなく、その上流地域の天気を調べるなど旅やレジャーに行く場合、自身の安全を確認し、急な河川の増水「猫まくり」にも十分注意して自然を満喫してほしいと思う。

 「猫まくり」について地元の住民は子供のころに一度は経験していて、生暖かい風が吹き、泥臭いにおいがしたらそれが前触れだという話も聞いた。湯桧曽川の災害でも「猫まくり」のことを知っている人が一人でもいたら被害がより少なかったのかもしれない。そこで楽しい旅をするためにも、災害の前兆現象や各地に残る言い伝え(災害伝承)を事前に調べておくことが大切であると言えよう。






(上毛新聞 2007年8月21日掲載)