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銅版画家 長野 順子(高崎市筑縄町)

【略歴】 東京芸術大大学院美術研究科建築専攻修了。建築設計事務所に勤務後、銅版画家に。個展多数。石田衣良氏などの著書の挿画も担当。上毛芸術文化賞美術部門賞。

日本人的夏生活

◎先人の知恵を生かす

 花火が夏の夜空を彩る季節。うちわ片手に冷たいものを口にしながら、一瞬の美を堪能する。目も心も夜空にくぎ付け、時折そよぐ川風に暑さも忘れるひとときだ。

 最近は若い人たちの浴衣姿も珍しくない。いつの時代も小粋な“和”の装いは、落ち着いた大人のお洒落(しゃれ)として好まれているが、最近は単なるお洒落ではなく、環境にあった生活の知恵として取り入れられているように思われる。

 地球温暖化。「このままでは危ない」という警鐘が、具体的な映像や数字をもって、日々鳴らされている。楽だ、便利だといって浪費し続けてきたエネルギーの使い方を見直すべきだと、わたしたちも危機感を身近に感じ始めている。そんな中で、打ち水をしたり、葦簾(よしず)を下げたりと、日本人の納涼の知恵が見直されている。この湿潤な日本の夏を生き抜いてきた先人の知恵を生かして、日本人的夏生活を送ってみてはどうだろう。

 例えば、住まい。木と紙と土で造られた日本の家屋は呼吸をしている。四季を通じて温度も湿度も変化する気候にあって、そういった環境を遮断するのではなく、湿度を調整できる機能をもった素材を用い、環境になじませることを日本人は選んだのだろう。夏には間仕切りの襖(ふすま)を外したり、風通しの良い簾戸(すど)に入れ替えたり、換気に心掛けて住まう人が家屋の呼吸を助ける。外気の通う室内は緑陰の心地よさに通ずる。単に必要に応じただけでなく、模様替えによって季節を味わう楽しみもある。見た目の涼しさや、風鈴などの音の演出で心の納涼を味わうことも、日本人の得意とするところだ。

 江戸中期の狩野派の画人、久隅守景(くすみもりかげ)の作品に「夕顔棚納涼図屏風(びょうぶ)」がある。細い竹で組まれた夕顔棚の下で親子三人がくつろいでいる姿を描いたもので、当時の農村の人々の納涼の工夫がよく分かる作品である。

 棚いっぱいに夕顔の葉が茂り、大きな夕顔の実がたわわに実っている。父親は丈の短い薄物を羽織り、頬杖(ほおづえ)をついて寝そべり、母親は白い腰巻き一枚で夫の足元にゆったりと座り、小さな子供は片肌脱いで父親の背中越しに顔を覗(のぞ)かせている。ゴザの上の三人は皆微笑(ほほえ)んだ表情で同じ方向を眺めている。「いい風だね」という声が聞こえてきそうだ。裸同然の姿でないといられないほどの暑さにもかかわらず、その表情からは緑陰の心地よさが伝わってくる。

 路面を覆うアスファルト、家屋を覆うタイルやモルタル。蓄熱量の多い素材で満たされた現代の日本の酷暑は、納涼などというやさしげな言葉では対処しきれないかもしれない。しかし、せめて暑さの和らぐ時間には、エアコンを消して外の空気を感じてみよう。一人一人がほんの一手間掛けることで、人にも街にも地球にも風通しの良い環境が得られるかもしれない。






(上毛新聞 2007年8月22日掲載)