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「しんまち学ぶ会」副会長 佐藤 真喜子(高崎市新町)

【略歴】 亜細亜大経済学部卒。防犯パトロール隊「新町サポーター」、「新町歌劇団」などで地域づくりや文化活動に尽力。「よみがえれ!新町紡績所の会」副会長。

琵琶湖疏水

◎明治の気概にふれる

 明治の初め、当時の京都府知事が「琵琶湖疏水(そすい)こそ、目を将来に向けた百年の計」と市民に訴え、成し遂げた琵琶湖疏水建設事業。第十三回群馬アジア映画祭の作品の一つ「“明日を作った男”田辺朔朗と琵琶湖疏水」は、若き工事責任者の取り組みをたどり、琵琶湖疏水工事の全容をアニメとCG映像、記録映像を織り交ぜて分かりやすく伝えてくれました。

 哲学の道、桜並木、琵琶湖疏水、おいしい水で作られる豆腐…。千年の都・京都は観光地であり、市民の憩いの地でもあります。しかし明治の初めには、維新の傷跡を深く残し、東京遷都による衰退の危機にありました。

 京都のまちを再生させるには、まず物流の動脈を確保し、動力を用いて産業をおこし、それを、国の事業として任せるのではなく、京都のまちの人が支え、自らの事業にし、京都が自らの手で誇りを取り戻さなければ再生の意味がない。知事は市民に対し、工事の展望や必要性と協力、合意、膨大な費用が必要なことを訴えました。衰退しかけた京都の再生を、“水の力”で図ろうとしたのが、琵琶湖疏水建設事業でした。

 工事責任者の田辺さんは、当時の日本の技術水準では、無謀、不可能とみられた難工事に挑戦。「お雇い外国人」と呼ばれた外国人技術者に頼らざるを得なかった時代に、勇気と決断力をもって日本人だけで完成させ、日本の近代化土木工事史に大きな足跡を残しました。その取り組みは、環境に配慮した先見性、百年先を見通した工事計画、柔軟性と決断力にあふれ、工事半ばで米国へ視察に訪れ、水力発電への決意を固めた結果、琵琶湖疏水建設事業によって、日本初、世界でも実用化として初めて水力発電を実現します。当時、初めて竪坑を使ってトンネルが掘られ、思いがけない湧水(ゆうすい)に苦しみました。多くの苦難を乗り越えました。

 そして現在も琵琶湖疏水は京都市民の水道水となり、生活水となっています。日本人ばかりでなく世界中から訪れた人に愛される風景、庭を造り、潤いを与えるものとして、脈々と役割を担い続けています。琵琶湖に水を流すことで物を運び、工場をおこし、電気を作り、そして路面電車も走り、水道ができ、市営電車が開業し、明治から現在にいたるまで京都に命の水をもたらしています。

 明治の人々の自分たちで切り開こうとする気概、そして工事計画の変更や新しい工法への挑戦。常に新しい技術を求める意欲、自然の特性を知り、自然環境との共存を図りつつ、まちにとって本当に必要な事業のあり方を常に検証する姿勢。明治の気概にふれ、先人の英知にふれ、琵琶湖疏水をめぐる所に立ってみたいという思いにかられています。私たちが次の世紀に継承する「展望」の一端が見えてくるでしょうか。






(上毛新聞 2007年9月6日掲載)