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県社会教育委員 永田 真子(吉岡町下野田)

【略歴】 公文式教室指導者。地域の子供に本の読み聞かせなどを指導するボランティアグループ「ねこの手VG」の事務局を務める。昨年6月から県社会教育委員。

農業体験

◎“食”の担い手に感謝

 稲の穂が垂れ、収穫の時季を迎えようとしています。わが家は兼業農家で、自分たちで食べるだけのお米を作っています。義父が病で倒れてからは、田植えや稲刈り、草刈りなどの作業は主人がメーンで行うようになりました。主人は農機具の仕事をしているため、農繁期が一番忙しく、わが家の農作業はいつも後回しになります。

 群馬に嫁いで十七年。農業のことは何も分からなかった私も、少しずつ義母や主人から教わり、たいしたことはできないながらも、秋の日差しの中で、主人と義母と一緒に田んぼへ出向くようになりました。

 昨年は主人にコンバインの操作を教わりながら、一緒に稲刈りの経験もしました。家族で植えて、育てて、刈り取る。食卓で炊きたてのご飯を家族で食べる時、わが子たちは「うちのご飯は本当においしいよね」と言い、主人は満面に笑みをたたえます。

 わが子が夏休みに二泊三日の農業体験ボランティアに参加し、養豚作業や牛舎の世話、畑の草刈りや収穫を行い、生き物が食物に変わる瞬間を見て学ぶことを体験してきました。

 今は亡き義父が健在だったころ、兼業農家の傍ら養豚業もしていたので、自分からすすんで申し込みをしたわが子に、微笑(ほほえ)ましさと何か縁のようなものを感じました。

 帰宅したわが子の第一声は、「おじいちゃんもおばあちゃんも大変な仕事をしてきたのね。お父さんも手伝っていたなんて、尊敬するよ」というものでした。畑では、種まきや収穫などの時季を考えて植えなくてはならないと知ったこと。飼っている鶏を絞めて、それを食する準備を見学し、自分たちがいかに沢山(たくさん)の命を殺し、平気で食していたかを身をもって感じたこと。それらを息せき切って話してくれました。また鶏の最期を見届けた時、涙が止まらず、全く食べることができなかったのに、翌朝、平気でハムを食べている自分を見つめ、いかに自分が矛盾しているかを思い知った、とも話してくれました。

 お金さえ出せば、何でも食料品が簡単に手に入る時代です。しかしそこには、自然の恵みや生きとし生ける物の命がかかわっていることを私たちは忘れてはいけないと感じます。また、丹精して作物を育てる人、命がけで漁をする人がいてくれるからこそ、口に入れることができることにも心から感謝したいものです。

 わが子たちは、私の手作りのお弁当を持参して学校に通っています。「今日もありがとう。おいしかったよ」と空っぽのお弁当箱を持ち帰った時、なぜか母親としての充実感を味わいます。子供たちが、今まで以上に元気で明るくなったようにも感じています。

 家族が健康でいられることは、何よりの幸せです。そしてその源は、心を込めた手料理と、それを感謝して食することかもしれません。

 「うちのご飯はおいしいね」。わが子たちの笑顔を見るために、今年もまた主人とコンバインに乗って稲刈りを楽しみたいと思います。






(上毛新聞 2007年9月28日掲載)