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少年哲学堂主宰 須藤 澄夫(片品村鎌田)

【略歴】 朗読劇団片品モナリ座主宰、平成草木塔をすすめる会代表。飯能市助役などを経て片品村教育長。著書「少年の夕方」「抒情的生涯学習論」「尾瀬はぼくらの自然塾」など。

片品モナリ座

◎“文化発信公園めざす”

 片品モナリ座というのは筆者が主宰するリーディングカンパニーである。リーディングカンパニーは朗読劇団と訳せるが、漢字でいうほど堅い一団ではないので曖昧(あいまい)なカタカナにしている。

 モナリ座という名称がおよそ冗句で、「今日は私モ役者ナリ」からモとナリを取って付けたものだ。それにルーブル美術館におわす彼女の微笑(ほほえ)みを想起させるのもよいと考えた。「モナリ座って何?」と聞かれたら、意味不明の笑みを浮かべて答えようか、と。

 モナリ座の特徴はコロスを生かすこと、原作を一時間以内の作品に脚色すること、基礎・基本などと強要しないこと、誰もが入りやすいことなどが挙げられる。コロスとはギリシャ劇における合唱隊のことだが、当座の場合は群唱隊というほどの意味である。

 好いい加減を標榜(ひょうぼう)して憚(はばか)らないモナリ座だが、根はけっこう真面目(まじめ)で、作品の言葉の意味やリズム、背景等について学び、作品に対する畏敬(いけい)の念を培っている。それに言霊と言の葉、沈黙と間(ま)ということが主宰の頭の中にある。

 わが国には言葉に関して「言霊」と「言の葉」という語がある。言葉には霊魂が宿っている、というのが言霊。閑雅な響きをもたせたのが言の葉だが、言の葉には別に「事の端」説がある。幾ら言葉をついやそうと物事の端しか伝えられないという戒め思想だ。モナリ座はリーディングカンパニーだからこそ、このことを身の中に置いておかなければならないと思っている。

 次に沈黙と間。二つは似ているが、沈黙は西洋的で、間は日本的だ。沈黙については、国際的な演劇スクールを主宰するフランスのジャック・ルコック氏は「初めての稽古(けいこ)は沈黙することから始める」といっている。そういえば西洋の「沈黙したからといって負けたわけではない」という諺(ことわざ)は、沈黙の意志の強さをあらわしている。

 間については、その魅力を筆者に教えてくれたのは三十年ほど前のNHKテレビ「女性手帳」だ。ゲストを招いてのインタビュー番組で、森本毅郎氏と室町澄子氏の二人が聞き手だった。ゲストが言葉を紡ぎだそうと内面で格闘することから生じるその間を、聞き手の両人がじっと待つ姿が鮮やかに思い出される。この番組を浮かべると、今日日(きょうび)の言葉の軽さに愕然(がくぜん)とする。

 これらあれらを考えるとモナリ座の実力はまだまだだが、近々、県外公演の予定もあって座員の励みになっている。これまでリーディングしてきたのは山本周五郎の『かあちゃん』、樋口一葉の『たけくらべ』、幸田露伴の『対髑髏(たいどくろ)』(劇団昴共演)など。

 いま稽古しているのは『耳無芳一』と『芝浜』の二作品。自然の宝庫、尾瀬国立公園を擁する片品はまた文化発信公園でもありたいと思う。呼んでくださるところがあれば万謝申し上げる。






(上毛新聞 2007年10月24日掲載)