視点 オピニオン21
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県体育協会クラブ育成アドバイザー 青木 元之(沼田市戸鹿野町)

【略歴】 日本体育大卒。水泳で国体に2度出場。県内小、中学校教諭、渋川金島中教頭、県体協・スポーツ振興事業団共通事務局次長を経て、2005年から現職。

スポーツの意義

◎精神支える“希望の光”

 昭和以降のスポーツは日本の文化や経済の発展を担う人々に、そのエネルギー源となる活力を与える役割を果たしてきた。戦後においても、ボクシングで日本人初の世界チャンピオンになった白井義男選手、水泳で驚異的な世界記録を樹立した古橋広之進選手等の活躍は、敗戦に打ちひしがれていた日本人に希望の光を与えてくれた。

 私はその光を実感したことがある。沼田にテレビが数台しかなく、プロレスの時間になると街頭テレビ放映をしてくれた山田屋書店に父と見に行った時のことである。交通整理に警察官が出動するほど人が集まり、力道山がシャープ兄弟に空手チョップを浴びせるたびに、「いいぞ! やれー!」と大人たちが大声援を送っている。なんと、警察官も交通整理をそっちのけで群衆に交じって夢中で声援しているではないか。私がこの異様な光景を話すと、母は「戦争で負けて不安でいっぱいだけど、男の人たちは、女の人や子どもを守るために、勝った国の人と対等になりたいんだよ」と説明してくれた。その時初めて、スポーツが人々に与える影響の強さを実感させられた。

 もう一つ、私が感銘を受けたことを紹介しよう。一九六四(昭和三十九)年に開催された東京オリンピック。東洋の魔女といわれた日本女子バレーボールチームが決勝戦に進み、もう一点取れば勝てるという場面で、実況中継していたアナウンサーが興奮して「さあ! 金メダルポイントです」と連呼していた。それ以来、自分の気持ちと一体になったアナウンサーの声がいつまでも私の耳に残っていた。

 そして、それから二十五年後のことだが、昭和村教育委員会勤務時に、講演会の講師として来村した元アナウンサー、鈴木文弥先生の送迎役という幸運に恵まれた。車中で「あの実況は今でも忘れません」と話しかけると、先生は「皆さんには申し訳なかったですが、あの時は一人の日本人として夢中になりました。でも、私は世界に認められる祭典で、注目されていた東洋の魔女を担当できて幸せでした」とその時の心境を話してくれた。伝える側として「申し訳なかった」と言う先生に、あわてて「感動しました」としか言えなかったが、「一人の日本人として幸せでした」という先生自体が私にとっては希望の光に見えた。

 昨今は、相撲界やプロボクシング界で胸の痛むようなことが起き、世間を騒がせているが、本来スポーツは勝ちさえすればよいものだろうか。古代オリンピックで勝ったものだけが英雄扱いされるというような時代もあったが、現代では近代オリンピック創始者のクーベルタン男爵が「重要なことは闘争でなく正々堂々と競い合うこと」と提唱したことをきっかけに、精神面がスポーツにおけるより大きな価値として認められてきたはずである。

 このような時こそ、取り沙ざ汰たされている人たちだけでなく、競技する人、指導する人、伝える人、見る人、みんなでその価値を見直し、希望の光となるスポーツを守っていくことが大切であろう。私もその中の一人でありたい。






(上毛新聞 2007年11月2日掲載)