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県点訳奉仕の会会長 高橋  洌(前橋市大利根町)

【略歴】 群馬大学芸学部を卒業後、県内の高校や県立盲学校に勤務し、高崎高通信制教頭で定年退職。元県バドミントン協会副理事長。2002年から前橋ランナーズ会長。

活動の歩み

◎点訳本づくりに充実感

 点字は目の不自由な人が指先で触って読み取る大切な文字です。一文字の大きさは、縦六ミリ、横四ミリで、この中に縦に三点、横に二列の六つの凸点の≪ある≫≪なし≫の組み合わせで表現します。この六点式点字は、一八二五年にフランスのルイ・ブライユにより考案されたもので、これが世界中の目の不自由な人の常用文字となっています。日本で使っているのは、一八九〇年に石川倉次が、わが国のかな文字に翻案したものです。

 駅の券売機、エレベーターの案内、電化製品や缶ビール等への表示など点字を見かけることも多くなりました。さらにパソコン点訳やインターネットによる点字データの送受信など、コミュニケーションを図る上でも点字文化の可能性はますます広がる一方です。

 私は県立盲学校に事務局を置く県点訳奉仕の会で百余人の会員とともに、点訳のお手伝いをしております。まだボランティアという言葉が今のように市民権を得ていない一九六七年に、当時の森泉賢吾校長先生の発案で、福祉にご理解のある前橋市内の歯科医の山口秀先生を会長に迎え、二十七人の会員で発足したとお聞きしております。森泉先生は会報に「行政でする仕事と奉仕でする仕事」と題した一文を寄せられ、奉仕活動は人間を人間らしく生きさせる大切な仕事であると力説しておられました。

 私は点字を全く知らずに盲学校に赴任して戸惑いながらも、教科書や一部の専門書を除き、点字図書のあまりにも少ない環境に驚くばかりでした。新聞の記事や新刊図書などを紹介しても、「点字の本は出版されておらず、すぐには読むことはできない」との訴えに、無謀にもそれなら手づくりするしかないと、早速、朝日新聞の「天声人語」の点訳を始めたのでした。

 私は毎年開催している点訳講習会や専門学校での授業で、次のような挨拶(あいさつ)をすることにしています。「点字は簡単にマスターすることはできません。しかし、これだけ多くの方が受講されたことは、目の不自由な人のよりよい理解者がこんなに増えたということです。今回で終わりではなく、将来的に時間の余裕ができ、ボランティアを考えるときの選択肢の一つに点訳を忘れずにいてほしい。見えないという状況、取り巻く生活環境、情報収集の困難さ等々を理解されたうえで、点字の学習に取り組んでいただけたら幸いです」

 その後の通信添削や勉強会に通って一、二年後に県点訳奉仕の会に入会され、点訳図書を完成させた会員たちの喜びは大きいものがあります。数十ページの本を二、三カ月もかけて点訳、読み合わせチェックをして、さらに校正者の指摘で修正の繰り返し、と大変な過程があればこそ、完成したときの充実感は何にも勝るものになります。図書館の書架に並んだ点訳本を、楽しみに読んでくれる子どもたちの声が、何よりも次の点訳の励みになって返ってくるのです。






(上毛新聞 2007年11月26日掲載)