視点 オピニオン21
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高崎経済大経済学部教授 山崎 益吉(甘楽町天引)

【略歴】 高崎経済大卒、青山学院大大学院修了。文部省在外研究員としてロンドン大で研究。元高崎経済大学長。『日本経済思想史』『経済倫理学叙説』など著書多数。

経済学は人間学

◎汗して働く存在を強調

 私は来年、二〇〇八年三月をもって定年を迎える。約四十年の長きにわたり、学生に講義をしてきた。専攻は日本経済思想史、経済学方法論である。日本経済思想史は石田梅岩、熊沢蕃山、荻生徂徠、二宮尊徳、横井小楠、渋沢栄一等を主に取り上げている。経済学方法論は前期にアダム・スミスを、後期はD・リカード、J・S・ミル、K・マルクス、J・M・ケインズ等を中心に講義している。

 両講義で心がけていることは、経済学は単に物、財だけを取り扱うことではない、という視点である。経済学から人間を排除したら単なる物、財の調達に関する追求だけに終わってしまう。財(goods)の背後で、額に汗して働く生身の人間が存在することの意義を強調したいからである。経済学は人間学であるというのが私の講義の特色である。

 次は、知の在り方である。大学は単に知識を詰め込む場所ではない。大学は「初学徳に入る門なり」(朱子編『大学』)。知識の前に礼(儀)があることの実践である。講義は礼に始まり、礼に終わる。当たり前であろうが、意外に実践されていないのが実情ではなかろうか。挨拶(あいさつ)ひとつできないようでは、日本の将来は何とも心もとない。何事も礼に始まり礼に終わるのは当然である。両講義、演習で実践している。

 『小学』の書の冒頭、小学生に教える重要な項目として、(1)きちんと挨拶(応対)ができること(2)掃き、掃除ができること(3)呼ばれたらハイという返事ができること―の三つが強調されている。これらがきちんとできたら大学に行く資格があると言っているが、至言である。

 第三の特色は現場主義に徹している点である。経済学は、「経世(国)済民」である。西洋では、ポリティカル・エコノミー(political economy)と言ったが、同じである。「経世(国)済民」、この四文字を短縮して「経済」なる言葉が生まれた。「世の中(国)を平らにして民を救う」という意味が、本来の相(すがた)である。経済学はけっして金儲(もう)けの学問ではないのである。

 それゆえ、現実を見なければ真意は語れないとの思いで、経済学の故郷イギリスへは足繁く通った。とくに、アダム・スミスの生まれ育ったスコットランド、カコーディへは十数回足を延ばした。自然、風土、風習、伝統など、行ってみないとよく分からず、告白に値する講義はできないと考えたからである。プロフェッサー(professor、教授)には「告白する」という意味もある。

 間もなく定年を迎えるが、この三条件は今後も貫きたいと考えている。とくに、「経済学は人間学である」という視点は、私の体系からなくなることはないであろう。






(上毛新聞 2007年12月8日掲載)