視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県読書グループ連絡協議会会長 長 京子(桐生市新宿)

【略歴】 前橋女子高、群馬大学芸学部を卒業。結婚を機に1964年に桐生に移り住む。桐生市読書会連絡協議会を皮切りに婦人会などで活動している。

読書

◎穏やかな思考の時間

 終戦後、初めて本らしい本を、お年玉で買った。透けるような粗悪な紙に印刷されている『アルプスの少女ハイジ』。ヨーロッパを見たこともない私はどんな想像をしながらこの物語を読んだのだろう。毎晩、枕もとに置いてハイジの世界に遊んだ。

 翌年のお年玉ではそのほとんどを使い、私にとって超豪華なケース入りの『小公女』を買った。戦後何もない中でも物語のなかで“夢見る少女”だった。何はなくとも両親の懐の中で、あまり飢えることもなく一冊の本を大事に一年間読んだものだ。

 戦後間もなくの学校では戦前の教科書が所々塗り潰(つぶ)されて使われ、新制中学制度が始まったため教室が不足し、二部授業がしばらく続いた。

 先生がガリ版で刷ってくれたわら半紙一枚の教科書。勉強道具もろくにない中で、紙がなければ校庭がカンバス。お人形さんだか何だか、自由に描いて遊んでいた。今思うと親は食べさせることに精いっぱいで、そんな親に迷惑はかけられないと子供心に思っていたようだ。

 中学時代は戦前出版された総ルビ振りの全集の本を先生に借り、訳も分からず森鴎外訳の『即興詩人』なんか読み、文語体の韻律の美しさのみが印象に残っている。

 昭和三十年代になると、もはや戦後ではないといわれるようになり、そのうち消費者は王様なんていわれて、終戦後、物のない時代を味わった人間には何とも価値観の違う時代となった。

 そんな中で、子育てに追われる私は自分の本など買えず、移動図書館車から借りては読んだ。本は再販制度のため、結構高かったように思う。わが家のエンゲル係数が高かったためかも。

 先日、テレビで新刊本半額の本屋さんを紹介していた。本の売り上げの低迷が招いた現象らしい。子育てをしていたころ、こんなに本が安かったらなあと思う半面、本の数が少ないから、借りたから、大事に読んだのかも、と自分を慰めた。

 戦後、ラジオだけだったのが、白黒テレビが出現、動く画面に見入った。子供とともに「秘密のアッコちゃん」をカラーで見た感激。あれからテレビは私の映画館でもあり、情報源でもある。しかし、大部分は私の頭の中を通り過ぎてゆく。定着するのは目で追う活字が圧倒的だ。テレビは流れてゆくけれど、活字は考えながら読めるから。

 本は作家の個性が表れているものだが、それが加工されると良くても悪くても加工した人の思考が加わる。本から作家が何を伝えたいかを感じ取った後で、それらの助けを借りれば、読んだ人の、ものを考える力が培われると思うのだが。

 今は読み聞かせが盛んだが、今の子供はどこで、自ら本を読み、想像する楽しさを感得するのだろう。どこで活字そのものから物語を自分の中に蓄積し、源としていくのだろう。

 メディアが多様化し、情報が溢あふれている現代、日常生活の繁忙から逃れ、穏やかな思考の時間を求め読書することはオアシスかもしれない。ギスギスした世の中だからこそ、自分の芯(しん)となる読書を勧めたい。






(上毛新聞 2007年12月14日掲載)