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新潟大人文学部教授 橋本博文(新潟市西区)

【略歴】 太田市出身。早稲田大大学院博士課程満期退学。早稲田大助手、新潟大助教授を経て、1999年11月に同大人文学部教授に就任。

生物の絶滅

◎イノシシもいた佐渡

 新潟県の佐渡にはイノシシは棲(す)んでいるでしょうか? 実は、現在佐渡ではイノシシの生息は確認されていません。さらに、江戸時代の記録を 遡(さかのぼ)ってもイノシシの存在を認めることができないのです。それではもともと佐渡にはイノシシは棲んでいなかったのかというと、決してそうではないのです。かつて佐渡にイノシシがいたことが、佐渡の縄文時代の貝塚から出土するイノシシの骨によって知られるのです。

 わたしどもの大学博物館には、佐渡市三宮(さんぐう)貝塚出土の縄文時代晩期の遺物が所蔵されています。その中には、多くのイノシシの骨と、少しばかりのニホンジカの角があります。ニホンジカの角には加工痕跡が見られ、骨角器への素材利用が推断されます。その他、骨格部位の破片が少なからず認められ、それらをも含めて本州島側から骨角器の素材としてニホンジカの角と骨は搬入された可能性もあります。しかしながら、出土状況からみて、おそらく佐渡にニホンジカは棲んでいたことでしょう。

 イノシシの骨の中には同じ部位にもかかわらず、年齢差や雌雄の差を確認できます。このことから佐渡の縄文時代晩期人は、イノシシの成獣、幼獣の関係なく、雌雄も問わず、片っ端から食べていたことがうかがえます。それは早晩、資源が枯渇することを暗示しています。

 一方、太平洋側の貝塚の中には、成獣の雄を中心とした狩猟行動の跡が見られます。そこには資源を保護しようとする計画的な狩猟活動を読み取ることができます。

 ところで、佐渡の縄文時代晩期の貝塚で、イノシシよりも圧倒的にニホンジカが少ないのは、既に当時、イノシシよりも先にニホンジカが絶滅の危機に瀕(ひん)していたのでしょうか。縄文時代のトキの存在は、貝塚出土の鳥の骨からは分かっていません。いずれにせよ、佐渡ではトキよりも先にイノシシが滅んだということは厳然たる事実です。

 われわれ日本人は今、日本在来のトキの絶滅を嘆く前に、既に佐渡でイノシシ、ニホンジカの絶滅を経験していたのです。乱獲という行為によって、生態系・自然を破壊するという同じ過ちを繰り返しています。自然を、環境を大切にしなくてはならない、保護しなくてはならないということを考古資料からも学ぶことができます。

 縄文時代晩期というと、気候の寒冷期に当たり、植生や動物相にも影響が及んだことが考えられます。そこに乱獲を余儀なくされた一因があったとも推定されます。しかし、それがかえって、採集経済から生産経済へ、すなわち縄文時代の狩猟・漁撈(ぎょろう)・採集の社会から、弥生時代の水田稲作農耕の社会へという転換を早めた要因だったものともみられます。

 一度失った自然を取り戻すことは容易なことではありません。各方面の粘り強い努力によって二〇〇八年度、念願のトキの野生復帰に向けての放鳥が予定されています。来年、佐渡の空にトキが舞う姿を楽しみにしています。






(上毛新聞 2007年12月30日掲載)