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染織家 伊丹公子(島根県津和野町)

【略歴】 岡山県出身。京都で染織作家として活躍。1999年に島根県に移り住み、2000年から津和野町の「シルク染め織り館」館長。前橋市で手織り教室を主宰。

シルク染め織り館

◎人を育て文化残したい

 自分で織った着物を着たい、日本の民族衣装を残したい―。そういう思いから織りを選び、あくまで趣味だったのがもっと勉強したいという思いが強くなり、いつの間にか仕事になっていた。

 八年前、昔盛んだったシルクのシンボルとして島根県の旧日原町(現津和野町)がシルク染め織り館を建設。その運営を任され、オープンの前年、津和野町に移り住んだ。

 館長の命を受けた時から、この日本の伝統文化を、私の知るすべてを、継承してほしいという思いがあった。

 ものづくりは技術のみでなく人間形成が大切であり、その育成に役立つと思い、二〇〇二年、一年間の住み込み研修制度を設けた。

 研修生の入館の折、「ここでは技術のみを学ぶのではなく、人間として最低限の礼儀、作法、生活態度を学んでほしい」と話し、厳しく指導している。そうした中で研修生たちは実に素直に学び、励行してくれている。芸術だけでなく、生活の中の生きる姿勢などもすべて文化なのである。今まで、北海道から九州まで四十人余りを卒業させた。

 卒業生の中にこんな例があった。全く表情のない二十五歳の研修生。周りとの会話もなく、技術の理解力も乏しく、本人も落ち込んでいた。私は彼女に対する指導方法を考えた末、彼女に「毎日たとえ十分でも身ぶり手ぶりを交え、表情豊かに話しかけるように」と説き、パソコンを得意とする彼女に私の仕事を手伝うアルバイトを頼んだ。そのことを通して彼女の感性を知り、それを伸ばすことに力を入れた。

 二週間ほどしたころから、彼女に変化が見えた。笑顔を見せ、自分の意思を言葉に出し、私の頼んだ仕事に関して丁寧に説明してくれた。自信がつき、織りの理解力もアップして、勉強が楽しくできるとともに、周りとの会話もはずむようになった。三年前に卒業した彼女は、時折訪ねてくれたり、メールをくれる。

 もう一人、金髪に真っ赤な爪(つめ)の十六歳の少女。母親に連れてこられ、織りがしたいということだった。中学時代の教師への不信感があったので、当分は織りの指導をやめ、“母親”になることにした。入館して間もなく高熱を出したので、私の部屋で夜通し看病。野菜スープを作って飲ませると、「こんな美味(おい)しいスープは初めて。ありがとう」と言った。後日、母親は泣きながら「先生、娘がすべてに『ありがとう』と言え、親をいたわってくれるようになりました」と喜んでくれた。

 シルク館で織った振り袖を着て、今年、彼女は成人式に出席。「この両親の子供でよかった」と私に言ってくれた。

 生活の文化、そして芸術の文化―。ものづくりは人づくりである。

 群馬のシルクを残すため、前橋で開いてきた教室を来年から玉村町に移し、引き続き染織指導をさせていただく考えだ。






(上毛新聞 2007年12月31日掲載)