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県立ぐんま天文台観測普及研究員 浜根 寿彦(高山村中山)

【略歴】 東京都杉並区出身。1997年から県職員。県立ぐんま天文台の発足準備に携わり、99年の開館時から現職。彗すいせい星の観測的研究など惑星科学が専門。

「知る」と「わかる」

◎情報の結びつけが大事

 「知っている」ことと「わかっている」こととは大いに違う。「情報を持っている(覚える)」ことと「情報の結びつけができている(理解する)」こととは違うと言ってもよい。ここで言う「違い」に対応するように、学習成果を問うテストでは基礎と応用を区別しているような観があるが、基礎と応用は本当に別物だろうか。

 こんなことを思うのは、子どもたちと触れ合っていて「知って」はいても「わかって」いないように感じられることが多いからだ。

 学習活動で天文台を訪れる子どもたちとよく話をする。時折、こちらが舌を巻くほどいろいろ知っていて、次々とお披露目してくれる子がいる。たいしたものだと思いつつ、知っていること同士の結びつきを聞くと、首をひねって黙ってしまう。情報をばらばらに覚えているわけである。

 たいていの小学校中高学年の子どもたちは、地球が太陽の周りを公転していることを知っている。地球が自転していることも知っている。しかし、太陽が自転していることはほとんど知らない。天文台では、大きく投影した太陽や日ごとの写真を見ながら、太陽は球体で、表面の黒点が一カ月弱でぐるっと一回りするように見えることを学ぶ機会がある。どうしてそう見えるのかを子どもたちに尋ねると、地球が太陽の周りを回っているから、という答えが少なからず返ってくる。

 それではと、地球は何日かけて太陽の周りを一回りするのかを尋ね、黒点の動きがどう見えるかを想像してもらう。そこで子どもたちは初めて太陽が自転していることに思い至り納得する。ばらばらに覚えていた「情報」を結びつけて、確かな道筋で「謎解き」をして、現実のものを「理解」したというわけである。大げさに言えばひとつの世界像・世界観ができたと言ってよいだろう。

 「知っている」ことと「わかっている」こととは大いに違うというのは、こういうことなのである。

 このように情報は結びついてこそ意味がある。少なくとも自然理解ではそう言える。いやいや、自然を理解しなければ、自然と向き合って狩猟や牧畜、農耕を行い、文明を築き上げてきた人間の活動はなかったのだから、自然理解は文明の基礎と言ってよい。だから、情報を結びつけられなければ人間の生存そのものが危うくなると言ってもよいだろう。「生きる力」はここにあると言ってもよいと思う。

 ところが、子どもたちは「知って」はいるが、「わかって」いないことが往々にしてあるのだ。テストでは基礎と応用を区別しがちだが、実は「わかっている」ことがすべての基礎なのである。

 「わかる」ためには、太陽の例のように「理解する」という体験が必要だ。多くのことを知っていること自体は望ましい。しかし、情報を結びつけられなければ、覚えるために費やした膨大な時間がもったいない。「覚える」だけではあまり生活の役に立たない。だから忘れる。このことを忘れずに、次代を担う子どもたちを育(はぐく)んでいきたいものである。






(上毛新聞 2008年1月3日掲載)