視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県立女子大准教授 権田 和士(東京都豊島区)

【略歴】 旧尾島町(現太田市)生まれ。金沢大文学部卒。東京大大学院修了。太田東高、恵泉女学園大などを経て、県立女子大文学部准教授。日本近代文学。

漱石俳句鑑賞

◎互いの感性に出会う

 大学一年生向けの授業の中で、夏目漱石の俳句を三百句ほど読み、最も良いと思う三句を選ぶ作業を行わせている。同じ大学の同じ学部で学ぶ二十歳前後の女子学生であるから、似たような句が選ばれると思っていたが、実際に行ってみると、二人以上の学生に選ばれる句は数句程度で、選句結果はきわめて多彩なものとなる。

 学生たちには、選句を通して自分の価値観や感性の独自性に気づき、自分とは異なる友人たちの価値観や感性に出会ってほしいと思っている。

 これまでの授業で学生が選んできた句を思い返してみると、恋の句はやはり人気がある。つい先ごろ、ある学生が選んだ句であるが、漱石には次のような恋の句がある。

 〈吾恋は闇夜に似たる月夜かな〉

 この句は、誰でもが知っている簡単な言葉から成り立っているが、句の意味はわかりにくい。月のない夜が闇夜であるわけだから、論理的には矛盾するこの表現を鑑賞するためには、私たちは形式的な論理の世界から離れなければならない。成就する可能性のない恋であっても、恋する人への想(おも)いが自分の進む道を明るく照らしてくれるような、そんな恋が詠まれているのだろうか? さまざまな想像をかきたてる、むずかしいが面白い句である。

 意外なことに、学生たちは漱石の句集から、しばしば追悼句を選んでくる。親しい人の死に向き合ったときの強い悲しみが若い学生たちの共感を得やすいのかもしれない。次のような句である。

 〈朝顔や咲た許りの命哉〉

 〈御死にたか今少ししたら蓮の花〉

 〈有る程の菊抛げ入れよ棺の中〉

 これらの句に共感するとき、私たちの心は無意識のうちに、親しい人の死に出会い、それに耐えている漱石の心をなぞり、さらには、こうした句を通じて、万葉集の挽歌(ばんか)にまでつながる文学や言葉の伝統に触れている。文学作品を読むことは、現在の自分の置かれた状況から自由になって、他者の経験や心のありようをたどることであり、他者とその心を分かち合うことだ。すぐれた表現は私たちひとりひとりが持っている共感する力を掘り起こしてくれる。

 また、晩年の漱石が大病後の身を養っているときに作った次のような俳句を選んでくる学生もいる。

 〈骨の上に春滴るや粥の味〉

 老いとは縁遠い若い学生からこのような句を提示されたときは、驚いた。こうした句を味わい、それを高く評価する学生のすぐれた鑑賞力とその背後にある感性や想像力はほんとうにすばらしいと思う。

 日々の授業を行っていてもっとも愉快なのは、こうした若い学生たちの柔らかい感性に触れ、教員である自分の先入観が覆される瞬間である。






(上毛新聞 2008年1月15日掲載)