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神経心理士 福島 和子(富士見村赤城山)

【略歴】 国際基督教大大学院修了。医学博士。専門は神経心理学、神経言語学。県内2カ所の病院に勤務。著書に『脳はおしゃべりが好き―失語症からの生還―』がある。

繋がらない脳の回路

◎受け入れられる社会に

 人間の脳は生まれた時はまだほとんど使われていません。生まれるとすぐに呼吸する力、お乳を飲む力、排泄(はいせつ)する力、泣く力が自動的に働き始めます。こうして命は動きだします。

 しかし、生まれたばかりの赤ちゃんは、いろいろな音を聞き分ける力も、目に映ったものを見分ける力もまだ十分ではありません。

 アヒルは生まれてすぐ見た人間をお母さんだと思い、その人の行くところはどこでもついていきます。これはアヒルの脳に、生まれてすぐ見た動くものをお母さんと思い込む力が備えられているからです。アヒルに一度お母さんと思い込まれた人は、アヒルにとってずっとお母さんになるのです。

 人間も、生まれてから見たものが脳に届くことによって、脳の見る機能が働きだすように準備されています。アヒルと違うことは、人間の脳には、次々と新しいものを見て新たな回路を増していく力があるということです。

 私の息子が一歳半ぐらいのとき、家の近くに俳優の中村雅俊さんの顔が描いてある大きな看板がありました。それを見るたびに息子は「パパ」といい、その裏側の若い女性の絵を指さし「ママ」というのです。教えたわけではありません。でも息子の脳はまずパパとママを見分けて、それから男性と女性の違いもわかるようになっていたのですが、この段階では男性=パパ、女性=ママだったのです。これではアヒルとあまり変わりません。幸いなことに、大きくなるにつれ、男性女性というカテゴリーの違いと自分の父母の違いがわかってきて、アヒルとは違うことを証明してくれました。

 このように人間の脳は実際の物を見、聞いて、それらの意味を理解し、分類して、複雑な回路を形成しながら成長していくのです。

 しかし、そのような脳の準備が不完全なまま生まれてきてしまう子もいます。その原因はさまざまです。染色体という脳の細胞に問題がある場合もあります。脳の細胞の一部が傷を受けている場合もあります。原因が分からないこともあります。このような子供の場合は、見たり聞いたりしたことを脳がうまく受け入れてくれません。そうすると、脳の回路もうまく繋(つな)がらなくなります。結果として、言葉を上手に話せなかったり、複雑な物事を理解するのが難しかったりします。

 そこで、このような子供たちには特別に配慮した保育や教育が必要になります。特に大事なことは、その子供の脳の回路のどの部分がうまく繋がっていないかを見つけ出し、その部分に的を絞った教育をすることです。なぜならその子供たちの脳は、目や耳から入ったものを自分の力で受け止め、繋げて回路をつくる力が弱いからです。

 このような考え方で治療と教育をすることを、認知治療といいます。認知治療の目的は一人一人に与えられた能力を十分に発達させるということです。それでも社会の枠組みに追いつかない場合があります。そういう子供たち一人一人を受け入れる社会をつくっていくことが、大人の使命ではないかと思うのです。






(上毛新聞 2008年1月19日掲載)