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山の塾・中村ネイチャーハウス主宰 中村  進(富士見村赤城山)

【略歴】 前橋市出身。日本大卒。ディレクター・カメラマンとしてテレビドキュメンタリー制作に30年以上携わる。北極点、南極点に到達。チョモランマ頂上から史上初の衛星生中継。

“失敗”を報道

◎生まれた真実のドラマ

 三百年以上も続いた老舗の和菓子屋さんが、残った菓子を冷凍し、再び解凍して「作りたて」と称して売る。高級料亭が肉の産地や賞味期限を偽って売るなど、次々に食品の偽装が明らかになった。その度に経営者のトップが「心よりお詫(わ)び申し上げます」と人々に詫びる。立派な方々が、なぜそのようなウソをつくのであろうか。どうしても疑問が残る。

 テレビドキュメンタリーで数々の賞を受賞した日本テレビの故岩下莞爾氏は「事実をあるがままに報道する」という固い信念をもったドキュメンタリー作家だった。

 一九八〇年、ビデオカメラ、VTRがようやく社会に出始めたころ、岩下氏は世界最高峰チョモランマ(エベレスト)八、八四八メートルの山頂からVTRによる三百六十度大パノラマを茶の間のテレビに届けようと、世界初の試みにチャレンジした。

 岩下氏にその役目を託された私は同年五月三日、VTRとビデオカメラを持って、クライマー故加藤保男氏と共にチョモランマ頂上をアタックした。しかし、独自のルートから、しかもルート工作をしないまま一気に頂上をめざした私たちは時間がかかった。特に、カメラ、VTR、バッテリー等を持った私の荷物は酸素ボンベを入れると二十キロを超えていた。頂上まで高度にしてあと九十八メートルの地点で周囲は暗くなり始め、酸素も底をついてきた。絶対に事故を起こしてはならないとする私は「これ以上は危険だ」と登頂を断念。さらに前進する加藤氏と別れ、暗闇と化した稜線(りょうせん)を独りで下降し始めた。だが、垂直の岩壁の下降は困難を極め、中止。八、七〇〇メートルの高所で着の身着のまま、無酸素で一夜を明かした。

 翌朝、酷寒には耐えたものの、酸素欠乏のため視力を失い、筋肉もよく動かなくなっていた。「もやはこれまで」と、私は死を覚悟した。しかし、登頂して戻ってきた加藤氏、下から登ってきた隊員たちの必死の救援のおかげで九死に一生を得た。

 こうして世界初のチャレンジは失敗に終わった。だが、岩下氏は「生と死に賭けた36時間」というタイトルで、チョモランマ山頂からの三百六十度大パノラマ撮影に失敗した私が生還するまでの事実をあるがままに報道するドキュメンタリー作品をまとめた。作品は芸術祭優秀賞、放送文化基金賞、テレビジョン学会賞と数々の賞を受賞し、高い評価を頂いた。

 一方、私たちにとって失敗は大きな屈辱だった。しかし、失敗の事実を隠すことなく伝えたそこに真実のドラマが生まれ、人々は大きな感動をもって迎えてくれた。

 「…のため、この牛肉の産地は…に変わりました」と、正直に表示することが大事なことだったのではないだろうか。この誠実な言行こそ、人々や社会の信頼を一層深めてゆくことになるであろうと思うのだが。






(上毛新聞 2008年1月22日掲載)