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弁護士 丸山 和貴(前橋市大手町3丁目)

【略歴】 東京大法学部卒。1981年弁護士開業。91年度群馬弁護士会副会長、2006年度同会長。前橋市の教育委員、都市計画審議会委員などを務める。

裁判員裁判

◎問題は犯罪報道と評議

 前回(二○○七年十二月十三日付)の視点で、来年五月の裁判員裁判の導入を控え、制度を瓦解させないための抜本的議論が必要との意見を書いた。今回はその続編として、懸念している基本的な問題を二つ指摘しておきたい。一つ目は犯罪報道の在り方であり、二つ目は充実した評議の在り方である。

 裁判員は法廷で取り調べられた証拠だけで判断をする必要があるが、事前に見聞きした犯罪報道により、予断を抱く懸念がある点は異論のないところだ。そこで何らかの報道規制がある国もあるが、裁判員制度では、国民の知る権利と報道の自由の観点から報道規制は採られていない。専ら報道する側の自主的な判断に委ねられているのが現状である。

 そこで、先月十六日には日本新聞協会が、翌十七日には日本民間放送連盟が、それぞれ裁判員制度下の事件報道の指針を公表し、いずれも、報道にあたって裁判員に予断を抱かせないよう配慮する趣旨を表明している。

 一方、裁判員は裁判中に新聞やテレビを見ることを禁じられていない。しかし、選任時に予断を持っているか否か質問によりチェックされるし、裁判中は、裁判長が事実の認定は証拠による旨を説明して、予断を排除させる仕組みにしている。

 これまでのあらゆるメディアによる「犯罪報道」の実態を考えると、このような仕組みで心配がないのか、個人的には懸念もないではない。何よりも、犯罪報道には常にこの種の問題があるという点について、広く国民の間で認識されているとは言い難いのではないか。

 二つ目は評議、つまり、裁判官と裁判員が議論して結論を出す作業についての問題である。評議こそ、国民の司法参加のメーンステージといってよい。しかし、その性質上、評議は秘密であり、外部から直接審査することはできない。

 口角泡を飛ばせば眉(まゆ)をしかめられる。控えめな人は尊敬される。理屈を言う人は嫌われる。反論は友情を損なう。これらは日本人によくある心情であり、その意味で本当は私も典型的日本人である。「美徳」を捨てる必要はないが、少なくとも、合理的・客観的な議論のマナーや、議論する勇気については、もっと学ぶ必要がある。

 次代を担う児童・生徒に対する法教育については、文部科学省や法務省においても一定の関心が示され、弁護士会なども出前授業を始めてはいる。しかし道半ばといったところだ。また、来年から始まる裁判員になるのは、まずは彼らではない。われわれの長い間の習慣が一夜で変わることはないだろう。市民向けのより充実した広報活動やレクチャーなども必要不可欠と思っている。

 二度にわたって裁判員裁判についての問題を述べたが、制度の土俵をつくる継続的な努力が大切であり、技を磨くだけでは真の国民の司法参加にならないというのが真意である。






(上毛新聞 2008年2月21日掲載)