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染織家 伊丹 公子(島根県津和野町)

【略歴】 岡山県出身。京都で染織作家として活躍。1999年に島根県に移り住み、2000年から津和野町の「シルク染め織り館」館長。玉村町で手織り教室を主宰。

知的障害の研修生

◎教えてくれた粘り強さ

 二年前、十八歳の知的障害のA子と母が一年間の住み込み研修生として「シルク染め織り館」にやって来た。医師の話だと、精神年齢、知的年齢ともに六歳程度という。

 常に母親の洋服の裾(すそ)を持っていないと安心できないA子と母が住み込みを始める時、私は母親に尋ねた。「A子をいろんな意味で育て向上させるためにお母さんの前でも厳しくしつけますが、それを黙って聞けますか」。母親は「ぜひそうしてください。情けないけど親の私は不憫(ふびん)でどうしても言えない。本当はきちんとしつけるべきなのですが…。お任せします」と言った。

 最初のしつけは返事だった。A子の返事は「はい」ではなく「うん」。「はい」と言うように教え、「返事は?」と尋ねると、小声で「はい」。「もっと大きく、はっきりと」と言うと、大きな声が返ってくるようになった。

 実技の指導が始まると、A子は私の言葉をオウムのようにまねて繰り返した。「今、お勉強だよ」と言うと、何を指摘されているのか分かるので、すぐ黙って聞いている。計算は全く無理だが、自分のノートに必死で私の言っていることや絵を描いて自分なりの教科書を作っている。一般の人なら通常一日でできる作業が一カ月以上かかった。

 最初の三カ月は勉強に疲れると、トイレに一時間以上籠(こも)った。多分寝ているのだろうが、私はあえて「トイレでなく、休憩室で寝ていいよ」とは言わなかった。なぜならトイレで寝ていることを知られているとは思っていない様子なので、彼女の唯一の秘め事にしてあげたかったからだ。返事もきちんとできなかったA子が昼食の時、「先生、お先に頂きます」とはっきり言って頭を下げるようになった。

 これだけでも彼女は大きく成長し、実技の方もいよいよ昨年夏から卒業制作に入った。すべての工程を自分一人でするのだが、彼女は技法としては花織りを選んで頑張っている。母親も同時に卒業制作に入り、すべてに時間のかかるA子に常々「さっさと織らないと置いて帰るよ」と言っていたらしい。

 その母は昨年十二月に織り上がり、思わず「できた!!」と歓喜の声を上げた。隣の機で織っていたA子はその時、目に涙をいっぱいため、無言で織っていた。そして母が機場から出た後を追って「お母さん!! 私が織り上がるまで帰るのを待っていただけませんか。お願いします」と深々と頭を下げたという。

 母親が「頑張れ」と一言言った―と報告してくれた時、私は思わず涙が出て「このいじらしさ、けなげさにお母さんも全身の愛で彼女を抱きしめて『待ってるからね』と言ってほしかった」と言うと、彼女は「そうでしたね」とポツリ。

 まだまだ完成するまで数カ月を要するが、A子の修了証書は花丸、二重丸にして送り出したい。彼女もすでに二十歳。その存在は皆に粘り強さとやさしさを教えてくれた。私も心の中でつぶやく。「A子さん、ありがとう!!」






(上毛新聞 2008年2月26日掲載)