視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
大泉町社会福祉協議会会長 阿部 忠彦(大泉町丘山)

【略歴】 前橋工高卒。1960年、三洋電機に入社。同労働組合東京製作所代表などを務め、2001年、定年退職。現職のほか、大泉町18区長。

サケの放流

◎定着した子供育成行事

 昨年十二月末に利根川の利根大堰(ぜき)を遡上(そじょう)したサケは、過去最高の四千七百六十九匹でした。調査を開始した一九八三(昭和五十八)年には年間でわずか二十一匹だったことをみても分かるように、年々増加してきています。特に二○○二(平成十四)年に千匹を超えてからは、急増してきています。

 県内には「おおいずみまちサケと遊ぶ会」をはじめとして、六―七の放流のグループがあります。県水産試験場も大量の放流を行っています。そのほか、水質の改善、特に工場廃水規制の強化や、近年進んできた家庭雑廃水の改善、下水道の増設など、もろもろの努力の積み重ねが大きく影響していると思います。

 そのうちの一つ、おおいずみまちサケと遊ぶ会を結成し、会長となった(現在は顧問)のは一九八○(昭和五十五)年でした。当時はマスコミなどで青少年問題が盛んに取り上げられ、荒れる卒業式や成人式、傷害事件などが騒がれたころでした。「青少年にもっと生命を大切にし、思いやりの心を持ってもらうため」に何か運動を起こしたいと考え、数人の仲間と相談しました。もともと魚や動物の飼育が好きだったこともあり、ある文献で、サケの稚魚は四年で生まれた川に戻ってくることを知り、これを運動のメーンにすることにしました。

 早速、サケの受精した発眼卵を入手しようとしたところ、いろいろな法律や規制で、個人では難しく、三年間入手できませんでした。ある時、前橋青年会議所の方々が結成百周年事業として、サケの発眼卵の配布と放流を始めると聞きました。事情を話し、発眼卵を分けてもらうことができ、やっと会の発足に至りました。

 初めて発眼卵を配布した時の、子供たちの食い入るようなキラキラしたまなざしや、放流の時の「元気で帰ってきてよー」「ガンバレー」などの声が忘れられません。

 その後、数年間は発眼卵を分けていただきながら、大泉町の保育園児、幼稚園児、小中学生を中心に、配布と放流を続けてきました。今は子供たちはもとより、大人の飼育マニアも増え、すっかり地域の行事として定着してきています。

 これまで、ある小学生の手紙によって魚道の改善が行われたり、大堰の地下室に観察ができる水族館式の水槽が作られたりしました。また最近は、自宅のパソコンなどで遡上のライブ映像を見ることができるようになり、データも公表されるなど、関係諸団体、部署の努力も放流の盛況につながっています。近隣の幼稚園児や小学生などの見学が増え、「生命の大切さ」と「回帰のロマン」が子供たちの心に育っているものと思います。

 利根川はサケの回帰の南限です。一万匹を超えたら、漁業権を各地域で持ち、「一人何匹」などの制限や鑑札制を確立して、「サケの釣れる川」で地域を活性化できたらいいなあと思います。そのためにはもろもろの法律の改善や、河川の整備などが必要ですが…。






(上毛新聞 2008年3月1日掲載)