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新島学園短大学長 大平 良治(安中市板鼻)

【略歴】 新島学園中学・高校、中央大法学部卒。県企画部長、保健福祉部長、県教育文化事業団理事長などを歴任。2005年4月から現職。

大学・短大全入時代

◎人格教育のチャンス

 大学・短大は今、著しい少子化の影響を受け、困難な時代を迎えている。しかし考え方を変えてみると、真の人格教育を行うことのできる時代が到来したといえないだろうか。特に、高度経済成長期の大学においては、多くの講義が大きな教室に大人数の学生を集めて行われていた。小人数のゼミも少なく、そこに入って討議方式の授業を受けることのできる学生は限られていた。一人一人の学生と教師が少人数で交流し合い、教師の人格的影響を受けるということなどは考えられなかった。

 ちなみに、一九六二(昭和三十七)年から七二(同四十七)年の十年間に、大学・短大の学生は約九十四万人増加している。今までの日本の大学・短大は多くの入学希望者に難しい試験を課し、何倍もの難関を突破した学生に大学側が一方的につくったカリキュラムに基づき、知識を中心とした教育をしていた。その結果「入学するのは難しいが、卒業するのは簡単」といわれてきた。

 今こそ、教職員が一人一人の学生と向き合い、願いや思いをしっかりと受け止め、知識だけでなく人格の形成に向けて一人一人の学生に合った人格教育を重視していくべきときである。

 新島襄は「人ひとりが大切」という考え方に基づき、徹底して一人一人の学生を愛し、大切にした。学生一人一人が神から与えられた使命を自覚し、それを果たすことができるような人間になる教育をめざした。同志社を設立した目的は「技能・才能ある人物を教育するに止まらず、いわゆる良心を手腕に運用する人物を出さんことを勉めた」と言っている。人格教育を重視するということである。

 人格教育を行うために、新島襄は一人一人の学生のことを知って理解し、一人一人の学生に適した指導と支援をした。特に経済的に困窮している学生や学業成績が必ずしも優れない学生を大切にし、大事に扱った。素行のよくない学生や勉強をしない学生の名を挙げて神に祈り、自分の責任を感じて熱心に指導し、教育した。

 また、ヨーロッパに旅をしていたときも、京都に残した学生を思い、漢詩をつくっている。「巴里の芳花 倫郭の月 夢は尋ぬ相国寺前の人」。相国寺前の人とは、同志社の学生一人一人のことである。

 今、大学・短大全入時代を迎えるとともに、少子化がますます進行し、本格的な人口減少時代が到来、入学者の減少が続くと予測されている。このような時代状況において、人格教育を重視し、一人一人の学生をよく知り、少人数のきめ細かい教育を徹底していくためには困難も伴うが、これからも建学の精神と教育の原点に基づき、マンツーマンの教育に取り組んでいきたいと考えている。






(上毛新聞 2008年3月20日掲載)