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染織家 伊丹 公子(島根県津和野町)

【略歴】 岡山県出身。京都で染織作家として活躍。1999年に島根県に移り住み、2000年から津和野町の「シルク染め織り館」館長。玉村町で手織り教室を主宰。

物作り

◎自信と頑張る心が大事

 子供のころから手先のことが苦手だった。不器用を絵に描いたような私だが、細かい千本以上の絹糸を操ることができ、指導までするようになったことはわれながら不思議に思う。しかし、大事なのはやりたいと思う気持ちとやればできるという自信を持って取り組むことで、作業をするにあたり準備を丁寧にすることは物作りすべてに通じる。

 織りで言うならば、糸染めを雑にすると糸巻きで泣き、整経が均一にできていないと経糸(たていと)が弛(ゆる)んだり張ったりして風合いに響く。「絣(かすり)」なら図案通り、寸法通りに括(くく)らないと柄のずれがひどくなる。「すくい織り」なら図案の紙をいかにずれないようにあてて織るかを工夫する。

 特に「絵羽柄(えばがら)」は、染めのように布を横に並べて描くことはできず、織った布は中に織り込んでしまうので、身頃(みごろ)同士の柄をピタッと合わせるのが至難の業。経糸を弛めて織り縮みなどを計算して次の柄を織れば、身頃同士の柄のラインをピタッと合わせることも可能だが、相当の熟練を要することも事実である。

 織りは化学、数学、力学、色彩学、美術、歴史、文学などいろんな頭脳を使うので、気分転換しながら作品に取り組むことができて楽しい。これは物作りすべてに言えることかもしれないが、スピードも必要と思う。織りで言うなら、作業のリズムだ。特に着尺などはリズムで織らないと耳がきれいに織れない。耳をきれいに織ろうと手を添えると、経糸が弛んで良い作品にならない。

 糸を草木で染める場合は、ある程度頭を柔軟にすることが大事かと思う。色にこだわり過ぎて害になる助剤を使い過ぎると、糸そのものをボロボロにしてしまう。助剤を流すことは環境汚染につながり、身に着けた時肌にも良くない。そうしたことも十分に考えるのが染織家の義務と思い、私はミョウバン、アルミ、鉄、銅しか助剤として使用しない。だが、これとて百パーセント無害とは言えない。助剤によって色にこだわるのではなく、草木から出た色を頂き、私は自分の思う色に近づける。害のある助剤に頼らず、植物の混染で努力している。

 糸巻きの折、糸を振り向かせるのではなく、自分から糸に頬笑(ほほえ)みかけて語りかけ、導き遊んであげるという「心」を持てば、必ず糸はほぐれ、巻きやすくなる。やはりすべての物に心があり、通じるということだ。

 私は新しく作品を織るたびに、無事に織れますようにと、機のカマチを神社の鳥居に見立て、糸にも機にも感謝して柏手(かしわで)を打つ。この習慣は織りを始めた三十五年前から続けている。これは儀式であると同時に「心」なのだ。器用不器用でなく、やれるという自信と頑張ろうと思う心は物作りすべてに通じると思う。






(上毛新聞 2008年4月22日掲載)