視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県読みきかせグループ連絡協議会顧問 小林 茂利(前橋市表町1丁目)

【略歴】 東京商科大(現一橋大)専門部卒。元県職員(商工労働部長で退職)。自宅で児童図書室を開設したことも。「ミズチの宝」で県文学賞受賞。2000年から現職。

読む・聞く

◎描いたイメージ届ける

 「読む」ということばを辞書で見ると、文字で書かれた文章などを声に出してとなえる、という意義が出ており、英語やドイツ語などの辞書もほぼ同様である。ということは、読むという行為は本来音読を意味したのである。

 私が本を音読してこどもたちに聞いてもらうということを始めて、三十五年ほどになるが、奧が深くてまだまだ勉強しなければと思っている。

 木下順二の『夕鶴』の主人公つうの役を、千回以上も演じた山本安英は、朗読の名手でもあったが、こんなことを言っている。

 「印刷された活字は寝そべっている。声に出して読むことによって、一つ一つの活字が起き上がってくる。しかし、声に出して読むといっても、すぐ声に出して読めるものではない。何回も黙読して、イメージがはっきりつかめたとき、はじめて声に出して読むことができる」

 まことに達人の至言というほかない。

 このごろのこどもは、聞く訓練ができていないといわれる。映像文化が浸透し、ことばと映像が同時に視覚と聴覚を刺激するメディアに日常的に触れているから、ことばだけを聞いてイメージをつかむことが苦手になっているのだ。

 ラジオで落語や講談、浪花節、放送劇などを楽しむという世代は、還暦すぎの世代になってしまい、ラジオは車の運転中に聞くものになってしまった(というのは少々言いすぎで、ラジオの放送大学で勉強している人もいるし、深夜放送を楽しんでいる人もいる)。

 電話で道案内をするときは、道順がイメージとして頭の中に描かれていないと、的確な道案内はできない。同じことが読みきかせにもいえる。読み手は頭にしっかりイメージを立ち上げ、それを声に出して聞き手に伝える。聞き手はその声を注意深く聞いて、自分の頭の中にイメージを形成することになる。このことは、読み手も聞き手も、読む訓練、聞く訓練が必要だということを意味する。

 読み手から聞き手へイメージを運ぶのは、ことばである。ことばはイメージを運ぶ船なのである。まず第一に、そのことばが明瞭(めいりょう)で、はっきり聞き手に届かなければならない。また聞き手が理解するのに必要な間まと、ゆったりしたテンポが要求される。

 また表現にどんな表情をつけるかは、読み手が描いたイメージによって、自然な表情が生まれてくるものである。あまり感情移入をして読むと、聞き手が感情移入する余地がなくなるから、淡々と読むのがいいといわれるが、私は大げさにならない程度に、自然な表情をつけて読むことにしている。






(上毛新聞 2008年5月17日掲載)