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県文化財研究会会長 桑原 稔(前橋市天川原町)

【略歴】 工学院大建築学科卒。同大専攻科修了。前橋工高教諭を経て国立豊田高専教授。1993年から現職。中国魯東大兼職教授。日中伝統文化比較研究論の講義のため時々訪中。

伊勢神宮正殿の建築

◎中国雲南の民家と酷似

 三重県伊勢市には皇室ゆかりの伊勢神宮があり、正殿は「草葺(くさぶ)き切り妻造り高床式」の形式をしている。二十年ごとに造り替える「式年造替の制」が残っており、一九九四年に六十一回目の造り替えを行った。

 戦国時代などには、相当数の造り替えを省略しているので、それらを考慮すると伊勢神宮正殿の形式は、弥生時代初期ごろまで遡(さかのぼ)るものと考えられる。

 雲南―。歴代の中国王朝が「雲出(いづ)る南の最果て」の意味を込めて呼んだその省都「昆明」南方、約七十キロの晋寧にある石寨(せきさい)山古墳は、五七年に中国の学術調査隊によって発掘され、紀元前五世紀ごろの青銅器が多数出土、世界の考古学者を驚かせた。遺物の中には、三棟の青銅製家型埴輪(はにわ)も存在した。いずれの埴輪家も「切り妻造り高床式の住居」であり、左右の屋根上に千木(ちぎ)(交差した木)を突き上げ、妻壁から離れて「棟持ち柱」を立てていた。

 また、二○○六年十一月には、昆明からジープで丸二日がかりの秘境地で、埴輪家と類似した高床住居に居住している怒族の集落を調査することができた。その住居の特徴は次の通りである。

 (1)高床住居(2)外壁に丸太を積み上げている(3)切り妻造り(4)左右の妻側に棟持ち柱を立てている(5)屋内の中心に最も太い柱「中柱」を立てている

 また、建築儀礼は次の通りであった。

 (1)最初に立てる柱は家の中心の「中柱」(2)中柱は新月の午後十―午前零時に立てる(3)女性と子供は中柱を立てる儀式に参加できないし、見てもいけない(4)棟木を上げると上棟祝いを行い、雄鶏を棟木上に載せ東から西へ歩かせる(5)その後、雄鶏は殺して血を絞り、東北方向から時計回りに新築家の隅に撒まく(6)棟木の中央部四面に雄鶏の血を約三尺ほど塗り付ける(7)最後に棟上から餅(もち)を投げる

 次に、伊勢神宮正殿の遷宮祭の建築儀礼は以下のようである。

 (1)最初に立てる柱は正殿中心の「心の御柱」(2)心の御柱は新月の午後十―午前零時に立てる(3)伊勢神宮の最高責任者である斎宮は、女性であるため「心の御柱建て儀式」に参加できない(4)新正殿が完成し「遷宮祭」を行う時、先導の神主が新宮の前で雄鶏の鳴き声を三回発する(5)上棟祝いは棟上から餅を投げる

 怒族民家と、伊勢神宮正殿の建築および建築儀礼を比較してきたが、あらためて非常に類似性の強いことに驚かされる。日本で棟持ち柱がある切り妻造りの高床建築は、伊勢神宮正殿を原点とする「神明造り」に限られ、日本全国に分布している。その神明造りの源流をたどると、中国の雲南にまで繋(つな)がることが、おぼろげながらも明らかになってきたのである。






(上毛新聞 2008年5月27日掲載)