視点 オピニオン21
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郷土料理研究家 堀沢 宏之(伊勢崎市除ケ町)

【略歴】 早稲田大教育学部卒。「郷土の食を食卓に」をモットーに活動する料理家。群馬のいいところを見つける「クレインダンス」という取り組みをしている。

「買う」ライフスタイル

◎「作る」の空洞化進む

 「スーパーがないんです」

 東京の恵比寿から来たお客さんが言っていました。

 「弁当や総菜の店が増えています。卵一パックを買うのに二十分以上歩かないと店がありませんから」

 都会でビルやマンションが建ち並び、古くからの生活圏が切れ切れになり始めたのは最近のことではないと思います。今起きているのは、そうしながらも暮らし続けてきた人たちと新しく住み始めた人たちとの共生が難しくなっている、ということかもしれません。そのお客さんは、ライフスタイルの違いを感じていたようです。

 家であまり料理をしない人に「なんで?」と聞くと、「手間がかかる」と「高くつく」という答えが返ってきます。その気持ちは、一人暮らしの私にはよくわかります。だから出来上がった料理を買うことになるのですが、こういう国は珍しいみたいです。

 あらゆる場面でたくさんの人が「買う」ライフスタイルを採用しているのですが、古くからあるライフスタイルは最近まで「作る」の方が主流だったと、年寄りたちは教えてくれます。もちろんそんなことはおかまいなしに、やっぱり私たちは「買う」のですが。

 モノは、買って買って買い足りないと不安になります。けれどもそれは買い足りなかったからじゃなくて作れなくなったからじゃないかと、「買う」ライフスタイルがすでに定着しつつあったころに生まれた私は、今ごろになって思います。買えているうちは気がつきにくいのかもしれませんが、作れないというのは不安なものです。それが食べるという生きていくうえでの基本にかかわるようなことならば、なおさらです。

 そういう基本を、出来上がった料理を買うことで帳消しにしてきた家庭で育った子供がそれを買えなくなったとき、どうなるのか? そんなことは知らないんだけれども、きっと、不安になります。作れないというのは、不安なものですから。

 賃金の安い海外に「作る」を移して自分たちはもっぱら「買う」ばかりになると、産業が空洞化したと言います。中心市街地の人口が減少して郊外の人口が増加すると、街が空洞化したと言います。で、かけがえのない大切な人を失ったときには、心にぽっかり穴が空いた、と言います。

 なくして気づく、そのありがたさ。だからきっと、「作る」ことのアリガタサもなくならないと気がつかないのかもしれません。

 しかし私たちは、いったいいつまで買い続けられるのか?

 いろんなものを作らなくなりつつあることと、〈何かがぽっかり空いちゃっている〉というぼんやりした不安は、無関係じゃないと思います。料理が作れないことよりももっと怖いのは、人との関係がつくれなくなることです。






(上毛新聞 2008年6月23日掲載)