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ぎゃらりーFROMまえばし主宰 高橋 里枝子(前橋市上小出町)

【略歴】 前橋市生まれ。立教大史学部中退。書店・煥乎堂元取締役。学校・公立図書館やギャラリーを担当。2006年1月「ぎゃらりーFROMまえばし」を開設。

子育てられて

◎フェイントに瞬間勝負

 私には息子が一人いる。今は千葉で働きながら大学院へ通っているが、誰に似たのか、学問が好きだというのだから困ったものだ。精神の自由、コミュニケーション…どうやら行動哲学(この言葉があるかは不明)といったものをこの先もやっていくらしい。

 彼は小さい時、身体も心も傷ついた時期があった。ひどい喘息(ぜんそく)の発作と、彼を守らずにはいられず、離婚に至ったまでの時間。その三歳すぎまでの時間は、後で、精神的生まれ直しをさせる同じだけの時間を必要とした。私以外の人間を見ようとも、触れようともしなかった。私も獣の母親のようだった。それでも実家に帰り、少しずつ普通の子供の時代を遅れながらも取り戻していったのだ。

 子供というのは、面白くも、厄介なもので、いきなり親にフェイントをかけることがある。実はその時が大切な瞬間勝負なのだ。けしてこちらも誤魔化(ごまか)さず、本気で戦う。いろいろあったが、一回目は実家に帰って半年ほどたった時だった。

 あれだけ怯(おび)えた生活のことも何一つ言わずにいた彼が、ある時いきなり「何で別れたの?」と聞いたのだ。まだ四歳、言葉では伝えられない。「あなたも私も、とっても怖かったのよ」とだけ答えた。彼は「お母ちゃんのバカ」と言って、初めてポロッと涙を流した。後にも先にもそのことに触れたのは一回だけだった。

 小学生になると、子供同士でいろいろな話がでるらしい。いきなり「自殺する子もいるんだよ」と軽くフェイントをかけてきた。「生きたくても生きられない人がいるんだから、あんたが自殺なんかしたら、もったいないから使えるところは全部バラバラにして使ってもらう」と本気で怒った。彼は「母ちゃんならやるだろうなあ」と言って二度と言わなくなったが、大学に入って献体カードを持っていた時には、こっちがびっくりした。

 中学生のころは家庭内暴力の事件が多発するようになり、やはりいきなりその話になった。私が「絶対、体力ではかなわないけど、踵(かかと)にかみついてもスジの通らないことは死んでも許さない」と言ったら、やはり「母ちゃんなら、やるだろうなあ」とため息をついた。そんなことや大爆笑の珍事の連続で、私もそのたびに物事を必死で考えさせられた。

 つまり子育てなんて偉そうなものでなく、子育てられてきたのだった。今、大人同士になって、どうやら彼の学問は、この変な親との生活に関係あるのかとも思うようになった。子育てさせてくれてありがとうと言っておくか!






(上毛新聞 2008年6月28日掲載)