視点 オピニオン21
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元藤岡市立東中学校長 除村 晃一(藤岡市下大塚)

【略歴】 群馬大卒。理科の教諭として教壇に立ったほか、県教委で管理主事を務めるなど主に人事職を担当。西部教育事務所長や藤岡市校長会長を歴任した。

生徒指導

◎未来つくりだす営み

 生徒指導とは一人一人の子どもの望ましい個性の伸長を図りながら、将来において自己実現ができるようにするための援助指導である。また、自主性・自律性の育成であり、これは人としての永遠の課題である。

 さらに、教育の「不易」の部分である豊かな心やたくましさの育成も生徒指導のねらいそのものである。そして、それは克己であり、七転八起でもある。

 また、教育とは「心を“強”く“育”てること」であり、子どもの未来をつくりだす営みである。感動体験をさせながら、夢や希望を持たせることであり、それは自らのエネルギーになるものである。伸びない子はいないのであり、一人一人を大切にすることに尽きると考える。

 さらに、期待をかけること、意欲(やる気・やれる気)を持たせることである。「やればできる」「努力は結果に出る」ということを繰り返して体感させることである。そうすれば、学校は“楽校”になり、自分に自信が持て、自分を大切にすることになる。

 それは、毎日の生徒態度の変化にもなる。「心は形を求め、形は心を正す」ものであるし、「その身正しければ、影曲がらず」「根を養えば、樹は育つ」ものである。

 また、生徒指導とは子どもを認め、褒め、励まし、伸ばすことであり、「あきらめず、粘り強く、最後まで」は当然のことである。中学生はさなぎの時期であり、心の中では蝶(ちょう)になるための葛藤(かっとう)が行われているのである。

 生徒指導は、学習指導と車の両輪の関係である。学校(教師)は、より一層の積極的で本気な取り組みに努め、心に響き、訴える援助指導を継続しなければならない。生徒指導は、非行対策ではないし、事が起きてからの後処理ではいけないのは自明の理である。日ごろから子どもに寄り添い、自己存在感を高め、自尊感情を育(はぐく)むことである。

 自分の毎日の行為の積み重ねの総和が未来をつくっていくものである。生まれや過去は変えられないとしても、生き方や未来は変えられるものである。人生は、やり直しも出直しもできるはずである。自分のよさに気付かせること、誇れるもの、自慢できるものを見つけさせることである。

 それは、出番や居場所づくりであり、未来予想図づくりでもある。未来予想図とは、夢現教育(勝手な命名であるが、夢現とは無限にも通じるもの)である。

 総じて、学校(教師)の責務は、一人一人の子どもに夢や希望、自信ややる気を持たせることである。また、自らの生き方を考えさせること、学ぶ意欲を育て、学ぶ力を伸ばすことであると考える。混沌(こんとん)として、先行き不透明なこの時代だからなおさらのことである。






(上毛新聞 2008年6月30日掲載)