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高崎経済大経済学部特任教授 山崎 益吉(甘楽町天引)

【略歴】 高崎経済大卒、青山学院大大学院修了。文部省在外研究員としてロンドン大で研究。元高崎経済大学長。『日本経済思想史』『経済倫理学叙説』など著書多数。

倹約の真意

◎物の本質発揮させる

 北海道洞爺湖サミットが終了し、地球レベルで倹約がキーワードになっている。倹約とはなにか。日本語の倹約という文字は、倹が人と僉(ケン)から成り立っているのを見ても分かるように、「人に厳しい」が転じて「つつましい」「無駄を省く」という意味に使われ、約のほうは勺(シャク)が「縛る」からきているため「簡単にまとめる」「おごらない」「ひかえめにする」という意味に使われている。それゆえ、倹約とは双方とも「おごらない」「無駄づかいをしない」という意味である。

 西洋では倹約のことをセイビング(saving)というが、これはラテン語のサルバーレ(salvare)に由来し、「救う」を意味している。したがって、倹約とは「自らに厳しく奢(おご)りをつつしみ、人々、地球を救うことである」と考えていいであろう。

 倹約の反対が吝嗇(りんしょく)で、簡単に言えばケチである。倹約と吝嗇は天と地ほどの差がある。吝嗇は必要なところを省いてまで出し惜しみすることで、そこからは真の富は生まれない。もっと厳しく言えば、欲望をむき出しに自分のためにだけ使うというのは吝嗇の部類に入る。

 節約と吝嗇の決定的な違いは、「吝嗇は滅び節約は栄える」ということになろう。だから、財をなした人たちは「身の奢り心の驕(おご)り」を戒め、生業に励んだ。成り上がり者の富を真の富として認めなかった。隠匿善事、世のため人のために推し譲ることが真の富の前提条件とされた。だから、富める人は積極的に布施(ふせ)や推譲(すいじょう)を心がけた。「富者の任務は推譲にあり」(二宮尊徳)。

 倹約は物が本来もっている役立つという本質をいかんなく発揮させてやることである。

 まだ使える物を粗末にしたり、捨てたりすることは、実は人間を粗末に扱うことに外(ほか)ならない。人間の本質が労働にあり、物(商品)が尊い労働によってつくられていることを考えれば、無駄遣いがいかに人間を軽視しているかが分かる。

 石田梅岩は「三つ要るところを二つで済ませ、余った残りの一つを世のため人のために使いなさい、倹約は人を愛することである」と強調してやまない。節約は人を愛する行為、人類愛まで高めている。倹約論の極致と考えていい。

 洞爺湖サミット後の地球レベルでの倹約の真意がここにある。一日一ドル以下、明日の食料に事欠く億単位の人たちを、飽食の結果メタボリック症候群に悩んでいる人たちはどう考えているのか。これを資源や富の「適正配分」(just allocation)であると達観していいであろうか。それゆえ、今こそ、国籍を問わず倹約の真意を原点に立ち返って問う時期にきている、といっても過言ではあるまい。






(上毛新聞 2008年7月25日掲載)