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明治大商学部教授 水野 勝之(千葉県浦安市)


【略歴】千葉県出身。早稲田大大学院修了。商学博士。北九州大助教授を経て、明治大商学部教授。明治大では、嬬恋村など複数の地域連携事業の責任者を務める。



小栗上野介展

◎地域活性化に偉人の力


高崎市倉渕地区には、歴史的な一つの事件がありました。一八六八年に小栗上野介忠順という人物がそこで非業の最期を遂げました。

 上野介は、明治大学がある千代田区神田駿河台に生まれました。幕府の要職に就き、日本の近代化に大変貢献した人物です。しかし、維新後、旧幕臣として倉渕の地で斬首(ざんしゅ)されました。

 上野介の業績は、たとえば、一八六〇年に日米修好通商条約批准のため、幕府の遣米使節(目付)としてアメリカに渡ったことです。そして、ワシントンで当時のブキャナン大統領と対面し、この条約批准に監察官のような役割を担いました。私たちは、「日本人だけで太平洋を横断した咸臨丸」という情報により、勝海舟がアメリカに渡った重要使節のように認識していますが、実は勝はワシントンには行っておらず、上野介が大統領と直(じか)に対面しました。

 上野介の組織作りの特徴は、人材を育てて登用することにありました。どこかのプロ野球球団のように、他球団から選手を次々引き抜くような発想は持ちませんでした。三井銀行を創立して現在の三井の礎を築いた呉服商越後屋の大番頭・三野村利左衛門も、当時勘定奉行だった上野介に奉公して、才能を見いだされた人物のひとりです。

 また、商業面では上野介はワッフルを初めて日本に持ち込んだ人物です。

 今年四月、明治大学で「小栗上野介展」が開催されました。先に述べたとおり、明治大学の位置する駿河台が彼の生誕の地であり、彼の功績をあらためて現代の人たちに知ってもらうためです。その一環として徳川家十八代・徳川恒孝氏を中心に、旧旗本の子孫などからなる御成行列も神田駿河台を練り歩きました。

 昨年十月には、この小栗上野介展の予告をかねて、お茶の水茗渓通り商店街で「第四回お茶の水アートピクニック」が行われた際、私の研究室の学生たちが、駿河台出身の上野介の商業面での研究とアピールの責務を負っていると考え、「明大ワッフル」販売の模擬店を開設し、準備した四百個を完売しました。イベントの一翼を担って由来ある商品の商いとアピールを行い、半年後に開かれる小栗上野介展に備えたわけです。

 このように、大きな功績を残しながら、現在ではあまり知られていない人物にフォーカスすることで、「小栗上野介展」のような地域活性化のイベントを興すことができました。埋もれてしまったその人物の威光が、現代の日本での地域活性化に力を授けてくれた、というのはちょっといい話のように思います。

 (注)文中表現および資料については倉渕地区東善寺村上泰賢住職HPおよび高崎市HPを参考としました。





(上毛新聞 2008年8月21掲載)