視点 オピニオン21
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山の塾・中村ネイチャーハウス主宰 中村 進(富士見村赤城山)


【略歴】前橋市出身。日本大写真学科卒。ディレクター・カメラマンとしてテレビドキュメンタリー制作に30年以上携わる。北極点、南極点に到達。チョモランマ頂上から史上初の衛星生中継。



山に親しむ

◎人の心をつくる自然



 山の稜線(りょうせん)では涼風が吹き始め、秋山シーズンがやって来ようとしている。現在の日本のハイキング、登山人口は八百万とも一千万ともいわれ、国民の十人に一人近くが山を楽しんでいる。深田久弥氏の百名山めぐりも依然人気が高い。だが、「シカを追う猟師 山を見ず」ではないが、山の数だけを追うようになるのは大事なものを見失っているような気がしてならない。

 二〇〇一年八月十九日、二十歳になったばかりのある全盲の日本人女性がアフリカ大陸最高峰、五、八九五メートルのキリマンジャロに挑んだ。彼女の世話役となった私は、午前一時二十分、四、七〇三メートルの最後の小屋を彼女とともに出発した。午前六時半、ゾウやライオンが暮らすサバンナ、その広大な地平線からのご来光だ。見ることのできない彼女の頬(ほお)に太陽の光が差し、頬をうっすらと紅(あか)く染めた。

 娘の手を握って登る父親は「段」、「溝」と登山道の変化を指先で伝えながら一歩一歩登ってゆく。午前十時三分、九時間にわたり父親とともに登り続けた彼女はついに五、六八二メートルの山頂の一角に立った。彼女は万歳もせず、アフリカ大陸最高峰の頂に立った喜びを静かにかみしめていた。だが、娘の手を握る父親の目からは涙が溢(あふ)れ出ていた。

 目の癌(がん)のため、わずか生後三カ月のわが子の両目を摘出せねばならなかった両親は「娘の目を奪ったのは私たちだ」と罪の意識を背負って生きてきたのだった。キリマンジャロに挑んだ理由も「やがて私たちがいなくなった後、娘はひとりで生きてゆかねばならない。そのためには困難を克服する力を持ってほしい」と願ってのことだった。

 山を下った彼女は小屋で待つ母親と再会した。私はキリマンジャロをバックに三人の写真を撮った。わが子の両脇に立った母と父、二人のすがすがしい、清らかな表情は「娘の目を奪った」という二十年に及ぶ心の苦悩から解放されたことを語っていた。

 日本には弥生時代から山を敬う信仰が芽生えたといわれ、人々は山に神、田にも川にも神がすむと自然を崇(あが)め、五穀豊穣を祈ってきた。ヒマラヤの民もまた、山々には神がすむと崇め、豊作や幸せを祈る。そして、山を仰ぐことによって罪をも許されると信じている。こうした自然観は東洋特有の思想といえるかもしれないが、「山」は人の心をつくるかけがえのない自然のひとつであることは間違いあるまい。「山の数」という目先のことに囚(とら)われず、自然を愛し、その根本を見つめて山に親しみたいものである。





(上毛新聞 2008年8月30掲載)