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県文化財研究会会長 桑原 稔(前橋市天川原町)


【略歴】工学院大建築学科卒。同大専攻科修了。前橋工高教諭を経て国立豊田高専教授。1993年から現職。中国魯東大兼職教授。日中伝統文化比較研究論の講義のため時々訪中。



滑車型耳飾り

◎雲南に現存、日本は出土


 縄文時代後期(約三千年前)の榛東村茅野遺跡から出土した滑車型土製耳飾りは、総数五百七十七個。一遺跡からこれほど大量の耳飾りを出土した例は非常に珍しい。このほかに、滑車型耳飾りの出土例は、桐生市の千網谷戸遺跡、みなかみ町の矢瀬遺跡、太田市の石之塔遺跡など、身近な地域から関東・中部地方に及んでいる。

 最大の耳飾りは直径九センチ以上もあり、どのように耳たぶに大きな穴を開けたか、興味あるところである。そこで多くの文献を調べてみたが、全く解説を欠いている。

 私が訪問した中国雲南省秘境地に住む八十歳程度の●(わ)族女性の耳を見ると、時に直径九センチほどもある大型の滑車型耳飾り(銀製)を耳たぶに嵌(は)めているのである。早速、耳たぶに穴を開け、大きくする方法を聞くと、次のような答えだった。

 (1)女の子が満三歳のころ、母親か祖母が太陽の下に女の子を座らせ、耳たぶを太陽にかざし、骨製の細い針で穴を開ける。

 (2)骨製の針を引き抜きながら、植物の細い茎を穴に通す。その後は、時々茎を手で回転してやる。

 (3)半月もすると穴の傷に表皮ができてくる。植物の茎は二本にし、さらに三本にして時々回転する。

 (4)小さく細い唐辛子(鷹(たか)の爪(つめ))を舌でなめ、耳穴に差し込む。

 (5)次第に鷹の爪を大きくし、人間の親指程度のものが差し込めるまで行う。

 (6)最初は、直径一センチ程度の滑車型耳飾りを嵌め、これを次第に大きくしていく。

 その後、十年後には、直径五センチほどの耳飾りを嵌められるようになるという。●族は昔、十三歳で成人を迎えたというから、そのころになると直径五センチほどの滑車型耳飾りを嵌めることができたのだ。

 前述の●族女性の話によれば、滑車型耳飾りの効用は、装飾でなく魔除(よ)け。従って、大きければ大きいほど、魔除けの効力も大きくなると考えている。

 日本の場合、滑車型耳飾りは、弥生時代に入ると突然姿を消したようである。弥生時代中期ごろの人面土器は、入れ墨を施した顔の両耳に小穴を開けているのみである。この小穴に通した紐(ひも)などにきらびやかな物をたくさん吊(つ)るし、豪華に見せるように変わっていったものと推察する。

 即ち最初、魔除けのために身に着けた耳飾りが、弥生時代中期ごろになって、現在見るような装身具に変化していったといえる。

 ところが、雲南省の●族は現在でも魔除けとして大型の滑車型耳飾りを嵌めている。最早(もはや)それも消滅寸前であり、これを記録するために残された時間は、あまりないのが実情である。


編注:●は"人ベンに瓦"



(上毛新聞 2008年9月10日掲載)