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高崎経済大名誉教授 山崎 益吉(甘楽町天引)


【略歴】高崎経済大卒、青山学院大大学院修了。文部省在外研究員としてロンドン大で研究。元高崎経済大学長。『日本経済思想史』『経済倫理学叙説』など著書多数。



楽山園

◎「徳川による平和」表現


 パックス・トクガワーナ(徳川による平和)なる言葉がある。有名なパックス・ロマーナ(ローマによる平和)の日本への適用である。パックス(pax)とはラテン語で平和(peace)や秩序を意味し、パックス・トクガワーナは戦国の世に別れを告げた、徳川による平和という意味に理解していい。

 関ケ原の戦い(一六○○年)から十五年、大坂夏の陣の後、家康は武(戦い)は止(や)(偃)め、平和の世でありたい(元和)との願いを込め「元和偃武(げんなえんぶ)」を年号とした。

 実は城下町小幡(甘楽町)の楽山園は、「元和偃武」を受けて平和への願いを込め、織田信長の二男信雄が造ったものである。

 信雄の生涯は戦国絵巻そのもの、権謀術数を絵に描いたようであった。だが、常に真(まこと)の人でありたいとの願いから、常真と号し、楽山園を手がけてからの信雄は別人である。徳川への恭順あるいは自身の反省を込め、楽山園に思いを馳(は)せ、叶(かな)わぬ夢を託したといえる。山を楽しむ心境となった信雄は孔子の晩年と重なる。仁者でありたいとの強い願いから、知者信雄と決別したかったからであろう。孔子とともに人間の極致が仁であることを考えれば、信雄の心境がよく分かる。「俺(おれ)は知者ではない、仁者だ」と。

 楽山園の建設は戦国の世をくぐり抜けてきた知者信雄からの決別宣言でもあった。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の後に、「知者は動き、仁者は静かなり」(『論語』・雍哉篇(ようやへん))が続く。信雄が辿(たど)り着いた極致である。一般の信雄像からは想像もつかない。

 さらに、信雄の平和への思いは庭石にもよく表れている。とくに馬鞍石(ばあんせき)、臥牛石(がぎゅうせき)は有名である。馬鞍石は戦馬の解放を意味し、臥牛石も戦争に駆り出された牛を野(や)に放つという形で配されている。双方とも平和の象徴と考えていい。

 「馬を崋山(かざん)の陽(みなみ)に帰し、牛を桃林(とうりん)の野に放つ」(『書経』・武成)という有名な件(くだり)がある。周の武王が殷を滅ぼした後、「戦馬はいらない」と崋山(中国五岳の一つ)の陽に帰し、牛を桃林の野に放ったところから、平和を意味する後世への教訓とされている。

 楽山園は築山を桃林に見立て馬鞍石を南に、臥牛石を北に配置。平和への具体的な表現である。さらに、熊倉山、紅葉山を借景とするスケールはこの上なく雄大である。けっして後楽園や偕楽園に勝るとも劣るものではない。

 信雄は仁(『論語』)と偃武(『書経』)を合体させ平和の尊さ、大切さを伝えている。ここに、楽山園の平和への精神的、具体的な表現が完結していることを読み取ることができる。これほどの歴史的遺産がほかにあるだろうか。世界に向けて声を大にしてアピールする価値は十分ある。


(上毛新聞 2008年9月12日掲載)