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群馬大社会情報学部准教授 伊藤 賢一(前橋市下小出町)


【略歴】山形県出身。東京大卒、同大大学院修了。博士(社会学)。2001年から群馬大社会情報学部講師、03年から同助教授。専門は社会情報学、理論社会学、社会学史。



指導

◎成長を実感させたい


 数年前から近所のスイミングスクールに通っている。仕事が終わったあとの成人向けに夜の教室が開催されているのである。文系の研究者の多くはデスクワーク中心の生活なので、どうしても運動不足になりがちだ。

 水泳といえば全身運動である。私の場合、運動の効果はすぐに表れて、体調は劇的によくなった。それまで冬が来る度にひいていた風邪をほとんどひかなくなったし、長時間パソコンに向かっていると腰痛や肩こりに悩まされていたものだが、それも解消した。当時じわじわと増えつつあった体重も胴回りも減ってズボンを買い直すことになったが、不思議なことにこういう出費には腹が立たない。血圧も、血液中の中性脂肪の値も正常値になった。また、指導してくれる先生や一緒に泳いでいる仲間との交流も楽しいものである。

 私は二十代の終わりまでいわゆる金槌(かなづち)で、今の教室に通いだした時はクロールらしきものだけは何とかできたが、他の泳法はまったくできなかった。しかし、専門家の指導は大したもので、今ではまがりなりにも四泳法を一通り身につけ、マスターズ大会に参加することもある。プール通いを少しサボるととたんに腰痛がでたりするので、水泳は今では生活に欠かせないものになっている。

 教える立場から教わる立場になってみてあらためて実感したことがある。自分が成長する喜びの大きさ、とでもいえようか。それまでできなかったことがある時できるようになったときに感じる喜び、嬉(うれ)しさ。いくつになっても自らの成長を実感できるのは得難い経験である。もちろん、普段の研究や教育活動でもこうした瞬間はあるが、まったく違った世界でしかも初心者だと、その喜びも新鮮である。

 と同時に、教育にたずさわるものとして、自分が指導する学生たちに「成長する喜び」を味わわせているか、いささか不安にもなる。たとえ初めは苦しく辛(つら)くても、我慢して乗り越えたときの喜びや達成感を経験させることは、教育という活動にとって決定的に重要な部分である。さらにいえばこのことは、教育機関だけの問題でもなかろう。

 最近、せっかく就職した職場を若い人が辞めてしまうので困っている組織が多いと聞くが、彼ら・彼女らが成長する機会を職場がどれだけ提供しているか、という問題もまた見落とせないのではなかろうか。報酬や労働時間といった基本的な労働条件はもちろん大事だが、それに加えて、多くの若者は「自らが成長すること」をも求めているのではないだろうか。実利以外の動機が、実は多くの人々の行動をかなり説明することを示す研究も多いのである。



(上毛新聞 2008年9月15日掲載)