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県文化財研究会会長 桑原 稔(前橋市天川原町)



【略歴】工学院大建築学科卒。同大専攻科修了。前橋工高教諭を経て国立豊田高専教授。1993年から現職。中国魯東大兼職教授。日中伝統文化比較研究論の講義のため時々訪中。



屋根に鳥を載せる


◎7000年前に遡る風習



 中国雲南省南西の山間部に居住するワ族・哈尼(はに)族などの少数民族は、草葺(くさぶ)き屋根の高床住居に住み、屋根棟に鶏を載せている。彼らの伝承によれば、鶏は太陽の化身で悪霊を払い、幸せを招来する神の使者である。

 その理由を聞けば、もし太陽が沈んだままであったら、永久に悪霊の蔓延(まんえん)する暗黒の世界となり、稲作をはじめ、あらゆる食物の生産が不可能となり、やがてこの世に「死の世界」が到来するからである。

 ところが不思議なことに、夜半に雄鶏が声高らかに鳴き声を上げると、真っ赤な太陽が顔を出し、希望に満ちた「昼の世界」がやって来る。彼らは鶏に不思議な霊力を感じ、衰えた太陽が蘇(よみがえ)るのだと考えた。

 ワ族や哈尼族ばかりでなく南西中国に住む多くの少数民族は、非常に鶏を崇敬しているのである。また、これらの地方では、上棟祝いの際に雄鶏を棟木上に載せ東から西に歩かせる。その後、この雄鶏を「生け贄(にえ)」にして血を絞り、新築家の四隅に東北方向から時計回りに散布した後、棟木中央部の四面に塗り付ける。まさに、鶏のもつ魔除(よ)けの霊力を新築家に及ぼし、吉祥を招き活力溢(あふ)れる家庭を築けるように願うのだ。竣工(しゅんこう)後は、草葺き屋根の棟上に茅(かや)を丸めて作った鶏の象徴を載せておくのである。

 鶏に対するこのような崇敬心は、その昔の日本でも存在した。その証拠として、壁画古墳の石室壁面に雄鶏を描き、墳丘から雄鶏の埴輪(はにわ)が出土する。そればかりでなく、民家の屋根棟の上に鶏(鳥)を載せる風習が存在した証拠を残している。それは、四世紀ごろの製作とされる宮内庁所蔵の「家屋文鏡」である。この鏡の背面に、竪穴住居から二階家まで四種の建物を描き、棟上にツガイの鳥を描いている。

 このほかに、古墳から出土した粘土製の埴輪家でも、棟上に鳥を載せた実例を見ることができる。

 私は、こうした「鶏信仰」の起源は、現在のところ約七千年前の「河姆渡(かぼと)遺跡」まで遡(さかのぼ)るものと考えている。河姆渡遺跡は、上海南方の余姚(よよう)市東南端に存在する。多数の原始芸術品が出土、特に注目されたのが象牙に陰刻した「双鳥朝陽図」で、海面から昇り始めた太陽を、二羽の鶏が支えている様子を描いていた。吉祥をもたらす太陽が、力尽きて沈むことのないようにという願いを込めたものである。

 鶏を崇敬する風習を現在でも連綿と続けている雲南少数民族に、大きな驚きを覚える。

 現在の日本でも鳥居を赤色に塗る源流は、鶏の血に始まるのであり既に、七千年前から赤色は「僻邪(へきじや)の威力」を持つ色であったようだ。





(上毛新聞 2008年10月7日掲載)