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県文化財研究会会長 桑原 稔(前橋市天川原町)



【略歴】工学院大建築学科卒。同大専攻科修了。前橋工高教諭を経て国立豊田高専教授。1993年から現職。中国魯東大兼職教授。日中伝統文化比較研究論の講義のため時々訪中。



日本と中国・雲南


◎照葉樹林文化で類似


 日本文化といえば正倉院を思い、シルクロードに源流をたどろうとする。事実、日本の表層文化は、シルクロードと深くかかわっていることを、否定できない。

 しかし、日本の表層文化は、衣食住に基盤を置いた一般庶民の基層文化に支えられて初めて成り立っていることを忘れてはならない。

 ところで、日本文化の最大の特色は、われわれの周辺に充満している平凡な日常化した、基層文化の中にあることを知るべきである。

 中国・雲南と日本、この両者を結ぶ目に見えない赤い糸は、太古の昔、稲の来た道(ライスロード)によって、強く結ばれていた可能性を秘めている。

 雲南はまた、世界におけるお茶の発祥地ともいわれ、世界的に注目されている地域でもある。

 近年、日本文化を語る時、その基盤を形成する自然に着目して「照葉樹林文化」という言葉がよく使われる。

 照葉樹林文化は、数千年の太古に茶・カシ・ツバキなどの代表する常緑広葉樹のもとに生まれた文化である。それは、照葉樹林帯のもとで互いに伝播(でんぱ)する可能性を秘めていたという学説である。

 照葉樹林文化の最大の所産は、ドングリなど果実の食用加工技術にあり、後になると稲作農耕開始による稲作文化にまで発展する。

 そして、稲作文化を日本へ伝えた祖先たちは、照葉樹林文化の発生地あるいはその周辺から、照葉樹林帯に沿って移動してきたというのである。

 なお、渡辺忠世京都大名誉教授(農学博士)の研究によれば、稲の人工栽培発祥地は、アッサム・雲南地方であるという。

 筆者は、この学説に刺激され、雲南省や貴州省の奥地を訪問することになるのである。このようにして現地を訪れてみると、そこに住む少数民族は、いずれも正月に餅(もち)をつき、めでたい時に赤飯を食べ、チマキも彼らが考え出したものという。

 また、住居を見ると高床の草葺(くさぶき)であり、棟の左右に千木(ちぎ)を突き上げている。屋内では亜熱帯地方にもかかわらず、いろりを設け、上部に格子組みの火棚もある。

 このように、南西中国に住む少数民族の文化は、漢族の持ついわゆる中国文化とは全くつながらず、むしろ日本基層文化との間に、偶然とは思えないほど多くの類似点を有していたのであり、それらの一部をこの欄でこれまで紹介できたことは、過去の研究を総括する意味において大変ありがたいことであった。




(上毛新聞 2008年11月7日掲載)